宇治拾遺物語→「宇治拾遺物語」は鎌倉時代前期(1212年~1221年)に成立と推定される日本の説話物語集。編著者は未詳。全197話から成り、収録されている説話は日本、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、多彩な説話を集められている。物語の根底に流れているものは仏教説話的なもの。
本 文
昔、右近将監下野厚行といふ者ありけり。競馬によく乗りけり。帝王より始め奉りて、おぼえ 殊に すぐれたりけり。朱雀院御時より村上帝の御時などは、盛りにいみじき舎人にて、人も許し思ひけり。年高くなりて西京に住みけり。
(A)隣なりける人にはかに死にけるに、この厚行、弔ひに行きて、その子にあひて、別れの間の事ども弔ひけるに「この死にたる親を出さんに、門悪しき方に向へり。さればとて、さてあるべきにあらず。門よりこそ出すべき事にあれ。」と ①いふを聞きて、厚行がいふやう、「悪しき方より出さん事、殊に 然るべからず。かつはあまたの御子たちのため、殊に忌まはしかる べし。厚行が隔ての垣を破りて、それより出し奉ら ん。かつは生き給ひ たり し時、事にふれて情のみあり し人なり。かかる折だにもその恩を報じ申さずば、何をもてか報い申さん。」と いへば、子どものいふやう、「無為なる人の家より出さん事あるべきにあらず、忌の方 なりとも我が門よりこそ出さめ。」といへども、「僻事なし給ひそ。ただ厚行が門より出し奉ら ん」と ②いひて帰りぬ。
吾が子どもにいふやう、「隣の主の死にたる いとほしければ、弔ひに行きたり つるに、あの子どものいふやう、『忌の方 なれども門は一つなれば、これよりこそ出さめ。』といひつれば、いとほしく思ひて、『中の垣を破りて、我が門より出し給へ』といひつる。」といふに、妻子ども聞きて、「⑤不思議の事し給ふ親かな。いみじき穀断の聖なりとも、かかる事する人やはあるべき。身思はぬといひながら、我が門より隣の死人出す人やある。返す返すもあるまじき事なり」とみな言ひ合へり。厚行、「僻事な言ひ合ひそ。ただ厚行がせんやうに任せてみ給へ。物忌し、くすしく忌むやつは、命も短く、はかばかしき事なし。ただ物忌まぬは命も長く、子孫も栄ゆ。いたく物忌み、くすしきは人といはず。恩を思ひ知り、身を忘るるをこそは人とはいへ。天道もこれをぞ恵み給ふらん。⑥よしなき事なわびそ。」とて、下人ども呼びて中の檜垣をただこぼちにこぼちて、それよりぞ出させ ける。
さてその事世に聞えて、殿ばらもあさみほめ給ひけり。さてその後、九十ばかりまで保ちてぞ死にける。それが子どもにいたるまで、みな命長くて、下野氏の子孫は舎人の中にも⑦おほくあるとぞ。
問 題
問一 ①~④の主語はだれか? 次から選び、それぞれ記号で答えよ。
問二 (A)の段落で厚行が主張していることとして正しいものを次から一つ選び記号で答えよ。
- 厚行は死者を悪い方向から出すべきではないと主張している。
- 厚行は死者への恩を報いる必要はないと主張している。
- 厚行は死者を悪い方向から出すことを推奨している。
- 厚行は自分の門から死者を出すことに反対している。
- 厚行は死者が生きている間に情け深い人だったという事実を無視している。
問三 ⑤「不思議の事」が指す内容を三十字以内で説明せよ。
問四 ⑥「よしなき事なわびそ。」を口語訳せよ。
問五 ⑦「おほくあるとぞ。」の後ろに省略されている語句を答えよ。
口 語 訳
昔、右近将監下野厚行という者がいた。競馬によく出場していた。天皇から始めて、特に評判が良かった。朱雀院の御代から村上天皇にかけての御代の全盛期には特にすぐれた舎人として世人も認めていた。年老いてからは西京に住んでいた。
隣の家の人が急に亡くなったので、この厚行は弔問に行き、故人の子供に会い、亡くなられた様子を尋ねたりしてお悔みを言ったが、「この死んだ親を送り出すのに、門が鬼門の方角になっている。そうかといっていつまでもこのままにしておくわけにもいかず、やはり門から送り出さねばならない。」と言うのを聞いて、厚行が言うには「悪い方角から棺を出すというのは、まったくとんでもない。そのうえ、亡くなった隣家の人の遺児である、大勢のあなた方にとっては、いかにも忌まわしいことだ。私の家との境の垣根を破ってそこからお出しよう。それに、ご存命中は何かにつけて(私を)お心にかけてくださった方だった。せめてこういう時ぐらいだけでも、ご恩に報いなければお報いのいたしようがない。」と言う。すると故人の子どもが「何事もない(死んだ人のいない)人の家から棺を出すのはあってなならない事。鬼門の方角といえども自分の家の門から出すつもりだ。」と言うのだが、厚行は「間違った事をしてはいけない。どうでも私の家の門からお出ししよう。」と言って、自分の家に帰った。
厚行が自分の子供に言うには「隣の御主人が亡くなったことを残念に思ったので、弔問に行ったのだが、隣の家の子どもが言うには、『方角は悪いが、門は一つなので、ここから出すつもりだ。』と言うので、残念に思い『境の垣根を破って、私の家の門から出棺しなさい』」と言って来たのだ。それを聞いて、厚行の妻子たちは、「おかしなことをなさる父親だ。どんなに立派な断食をしている聖といえども、そんなことをする人はいないだろう。自分の事は顧みないとはいっても、自分の家の門から隣の死人を出す人があるだろうか。まったくとんでもないことだわ。」と皆で口を揃えて言い合った。厚行は「道理に合わない事を言うな。ただ、わしがするように任せよ。物を忌み、あれこれと気に病むやつは命も短く、良いこともない。ひどく物忌みをし、人は命も長く、子孫も栄えるものだ。強く物事を恐れて、苦しむことは人間らしいとは言えない。恩恵を思い知り、自己を忘れることこそが真の人間らしさだ。天の神もこういう人に恵みをかけられる。よくないことをしてはならぬ。」と言って、下人どもを呼び、中の桧垣を壊しつくして、そこから死人を運び出させた。
さて、その事が世間に知られ、上司の人々もあきれながらも褒めなさった。その後、厚行は九十近くまで生きて、死んだ。厚行の子供にいたるまで、みな長生きで、下野氏の子孫は舎人の中にも大勢いるということだ。
正 解
探究的な考察
「ねえ、この『宇治拾遺物語』の話どう思う?隣の人が亡くなった時に、自分の家の門から死者を出すって。」
「ああ、これって、昔の人は死者や死に関連するものを『穢れ』と考えていたから、特定の方角に対する忌避の感情があったんだよね。でも、この話では、隣人への思いやりから自分の家の門を使うんだよね。」
「そう、これって、人間関係の重視と、共同体の一員としての責任や義務を示しているとも解釈できるよね。」
「仏教の教えとも関連があるんじゃない?仏教では、すべての生き物に対する慈悲の心を持つことが重要視されているから、隣人の死者を自分の家の門から出すという行為は、この慈悲の心を具現化したものとも言えるよね。」
「それはすごく深い意味があるね。私たちも他人に対する思いやりや共同体への責任感を大切にしなくちゃ。」
「そうだね、それぞれの行動が、自分だけでなく、周りの人々にも影響を与えるものね。」