


要 約
一般的には、社会は個人の後に現れると考えるが、実際には個人は社会の中に生まれ、社会の一員として育つ。赤ん坊は生物として生まれ、周囲の人々によって社会的な個人として認識される。個人は他者とのつながりの中で「私」としての自覚を持ち、社会の中でその存在を与えられる。人は他者や環境とのつながりの中で自分を見いだし、社会の一部として生きる。また、死者とのつながりも重要であり、過去の人々が作り上げた社会の中で私たちは生きている。
内容理解



本文をよく読んで、次の( )に入る語句を考えてください。
- 【第一段落】
- 常識的な考え: 社会は「( 1 )」の後から現れる。
- 実際の状況: 生まれたときにはすでに「( 2 )」が存在。
- 社会の一員: 生まれてすぐに社会の( 3 )となる。
- 赤ん坊: 生物としての( 4 )の個体。
- ”社会の中の個人”: ( 5 )にいる人々によってさせられる。
- 幼年期の子ども: 他者から名指される( 6 )人称的な言葉を使用。
- 自分の認識: 「自分にとっての自分」より「( 7 )」。
- 「私」: 他者から○○と呼ばれる私。
- 社会の中の誰か: 常に他の人々の中の誰か。






- 【第二段落】
- つながり: 他者との関係性や( 8 )を指す。家族、地域、学校、会社など、さまざまな場でのつながりが存在する。
- 空間や場の共有: 同じ時間の中で特定の場所や環境を( 9 )すること。これにより、つながりが形成される。
- 名前や役割、属性: 他者から呼ばれる際の呼び名や役割、性別や年齢などの( 10 )。これらがつながりの中での自分の位置や扱いに影響を与える。
- いじめや差別: つながりの中での( 11 )扱いや関係。これらから抜け出したいという欲求が生まれる。
- 自らの存在を見いだす状況: つながりの中で自分自身を見つけるプロセス。自分がどのような存在であるかを認識する。
- 人間以外のつながり: ( 12 )や自然環境、想像上の存在とのつながり。これらもまた重要なつながりとなり得る。
- 農業社会と大地のつながり: 農業社会では、人々が( 13 )と強く結びついていること。これは他の人々とのつながりよりも強い場合がある。
- 狩猟採集社会と精霊とのつながり: 狩猟採集社会では、野山の( 14 )やその精霊とのつながりが重要であること。
- 現代社会とお金のつながり: 現代社会では、人とのつながりよりも( 15 )とのつながりが重要とされることがある。
- 共時性や共時態: 同じ( 16 )の中で空間や場を共有することによるつながりの概念。これにより「自分」を見いだす。



- 【第三段落】
- 死者: 死体ではなく、かつて生きていたが今は死んでしまった人間の( 17 )。(例…ご先祖様や祖先)
- 死体: 現在の時点で存在する死んだ人間の( 18 )。(例…エジプトのミイラ)
- 先祖: かつて生きていたが今は死んでしまってここにはいない死者たちの群れ。
- 名字: 両親や先祖とのつながりを示す( 19 )。名字を継承してきた今は亡き数知れぬ人々とのつながり。
- 歴史的連続体: 共時的なつながりを超えた人々の群れ。例…「日本人」や「韓国人」、「アメリカ人」などの歴史的連続体。
- 死者たちの作った世界: 風景や町並み、建物、言語、文化、法や制度など、すでに死んでしまった人々によって作られた世界。
- 通時性・通時態: 歴史や( 20 )を通じての関係。(例…言語や文化、知識、伝統が過去から現在に継承されていること)






- 【第四段落】
- 「私」という存在の定義
- 「私」は他者や事物とのつながりの中の「( 21 )」として存在している。
- これは「私」が「社会の中」に存在していることを意味する。
- 社会的な関係の中での「私」
- 私やあなたが現に存在することは、社会的な関係の中で与えられる社会的な( 22 )である。
- 私たちは他者から与えられた言葉や( 23 )、道徳に従って生きている。
- 社会の存在場所
- 社会は法律や政治、経済の中だけでなく、「私」の存在や日々の( 24 )の中にも存在している。
- 社会と「私」の関係
- 私は社会の中に存在し、常に社会から( 25 )て現れる。
- 私の日々の生活も社会の中で生じる社会的な出来事である。
- 「私」という存在の定義
探究的な考察



遅れてきた「私」を読んで、考察したことをまとめてみました。
自分の中の「社会」ー共時的なものと通時的なものー
自分の中のどのような点に「社会」があるか考えた場合、そこにはやはり筆者が述べているように、「共時的」なものと「通時的」なものの二通りがあると考える。
まず「共時的」なものとしては、家や学校・地域社会などにおけるさまざまな人々とのつながりが挙げられる。特に私は学校で生徒会役員として活動しており、全校生徒のために何が必要かを考えたり、行事やボランティアをする際、地域の方々に協力を求めたりと、人々とのつながりを感じることが多々ある。自分一人の力はとても小さいが、周囲の人々と協力することによって、大きな力が生まれるということを、高校生になって本当に実感している。また、こういった活動ができるのは、学校の広い敷地、私の生まれ育った故郷の山や川、森や湖といった豊かな自然環境があってこそだということも痛感している。同級生たちの多くが、サッカーやラグビー、野球などの練習の場として、学校の近くの広い河川敷を利用していること一つとっても、人間以外の存在との関係がいかに重要であるかがわかるのである。
次に「通時的」なものとしては、言語を通じての過去の死者たちとのつながりを挙げたい。古文の授業で、古典文法を学習している。この原型を考えたのは、江戸時代の国学者の本居宣長だという話を聞いたことがある。動詞や助動詞・助詞などといった文法知識は、一度覚えてしまうと、古文を現代語訳するときに本当に便利なものであるが、その原型を作ったのは二百年前の人なのだということに感動を覚えた。同時に自然と感謝の念が湧いてきた。文法規則を覚えた瞬間、本居宣長という死者と私は時の隔たりを超えてつながっていくのだ。考えてみれば、私が学校で教わっていることは、死者から継承されているものばかりである。社会を形作る多くの部分がこのようなものなのだ。数多くの死者たちとのつながりという点でも、私の中には「社会」が現実に存在している。
答 え
【第一段落】
- (1)~(7)
- 常識的な考え: 社会は「個人」の後から現れる
- 実際の状況: 生まれたときにはすでに「社会」が存在
- 社会の一員: 生まれてすぐに社会の構成員となる
- 赤ん坊: 生物としてのヒトの個体
- 社会の中の個人: 周りにいる人々によってさせられる
- 幼年期の子ども: 他者から名指される二人称的な言葉を使用
- 自分の認識: 「自分にとっての自分」より「人から呼ばれる自分」
- 「私」: 他者から○○と呼ばれる私
- 社会の中の誰か: 常に他の人々の中の誰か