
伊藤亜紗は「利他」を主題とする研究や実践を牽引する美学者であり、東京工業大学未来の人類研究センターのセンター長として「利他学」プロジェクトを率いています。利他とは単なる自己犠牲や合理的な善行ではなく(相手のために何かを押しつけるのではなく)、相手が自分らしくいられる“余白”を大切にするというものです。つまり、相手をコントロールしようとせず、相手の中にある、まだ見えていない力や個性が自然に現れるのを待つ姿勢を大切にする、ということです。主な著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など。
「まるごとのあなた」を
第一段落
筆者がアメリカ・ボストンから帰国した際、日本社会で「多様性」という言葉が広く使われていることに違和感を覚える。アメリカでは「多様性」という言葉自体があまり使われず、移民国家としてそれが当然すぎて力を持たないためだと考察している。
第二段落
日本で多様性が強調されている一方、実際には社会の分断が進んでいると感じる。多様性という言葉が「みんなちがって、みんないい」という空虚な標語になり、本来の優しさや寛容さとは無関係な「演技」に見えてしまい、不安を覚える。
第三段落
本当の多様性とは何かを考え、アメリカの大学で見た「Be your whole self.」という言葉を紹介する。「whole self」は人間の多面的な側面をすべて受け入れる姿勢を示しており、重要なのは一人の中にある多様性である、と主張する。他者の見えない側面に敬意を払い、共通点と違いを見出す姿勢の大切さを説いている。
Be your whole self.
ありのままのあなた
まるごとのあなた
「まるごとのあなた」という表現には、一人の人間が持つ多様な側面すべてを認め、受け入れるという積極的な姿勢が込められており、単に「ありのまま」でいること以上の深い意味があると筆者は気づいた。
「ありのままのあなた」は一般的に「自分を偽らず自然体でいること」を指すが、筆者は「まるごとのあなた(whole self)」という表現を用いることで、「人は複数の側面や属性を持っていて、それらをすべて隠さずに受け入れることが本当の多様性である」と強調している。
「まるごとのあなた」は、単なる自然体という意味ではなく、個人が持つ多様な側面(例:専門、出自、興味、性別など)を全て含めて受け入れることが重要だと述べている。
探究的な考察
マイ:アオイ、「まるごとのあなた」って、ちょっと変な言い方だなって思ったけど、読んでみてどうだった?
アオイ:うん、私も最初は「ありのままのあなた」と同じかなって思ったけど、筆者は「ニュアンスが異なる」ってわざわざ書いてたよね。
マイ:そうそう。本文で「Be your whole self.」ってチラシの言葉を引用してたじゃん。あれ、なんで使ったんだろう?
アオイ:たぶん、筆者はこの言葉を使って「本当の多様性」について説明したかったんだと思う。日本の「多様性キャンペーン」みたいな表面的な話だけじゃなくて、「一人の人間の中に在る多様性」を伝えたかったんじゃない?
マイ:たしかに。引用があると、ただ自分の意見を言うだけよりも、実際に見た言葉を使って説得力が増すよね。
アオイ:「大学生で、遺伝子工学を専攻していて、アフリカ系アメリカ人で、女性で、演劇にも興味があって……」みたいな、いろんな側面を全部出していいっていうのが「whole self」なんだよね。
マイ:うん。「○○な人」ってラベリングするんじゃなくて、「まるごとのあなた」をそのまま受け入れることが大事ってことか。
アオイ:じゃあ、「まるごとのあなたを…」の後はやっぱり「受け入れる」とか「認める」とかが続くのが自然だよね。
マイ:うん、本文でも「隠さず全部出していい」とか「敬意を払う」とか書いてあったし、そういう雰囲気が伝わってくる。
アオイ:引用って、やっぱり自分の考えをわかりやすく説明したり、説得力を高めたりするために使うんだね。
マイ:私たちも小論文とかで、かっこよく引用を使えるようになりたいな。

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