
三好達治

《生い立ちと学歴》
1900年(明治33年)、大阪市に生まれる。陸軍士官学校を中退し、第三高等学校(後の京都大学)を経て、東京帝国大学仏文科(現在の東京大学)に進学。
《詩人としての特徴》
繊細な感性と美しい日本語を用い、自然や日常の情景を静かに深く描写することを得意とした。
室生犀星や萩原朔太郎などの先達詩人から影響を受け、フランス近代詩や日本の古典文学の手法も取り入れた。フランス文学や日本の古典文学に精通し、それらの知識を詩作に生かした。
《詩壇での活躍》
1930年、第一詩集『測量船』を刊行し、詩人としての地位を確立。抒情詩の主流となる雑誌『四季』の中心的存在となり、戦後も新しい詩境を展開した。
※三好達治は明治から昭和にかけて活躍した日本を代表する詩人であり、自然や日常を静かに見つめる独自の詩風と、幅広い文学的素養を持っていました。この詩が発表されたのは1926年(大正15年)で、三好達治が25歳、東京帝国大学の学生だった時期です。当時は第一次世界大戦後の比較的平和な時代であり、日本が本格的に戦争の影響を受ける前でした。三好達治「甃のうへ」の舞台についてはいくつかの説があります。一部では、東京都文京区の「護国寺」が舞台であると言われています。また、京都の「泉涌寺」ではないかと感じた人もいます。しかし、三好達治は「甃のうへ」全体が架空のものであり、特定の実在する寺院を指しているわけではないと述べています。
萩原朔太郎の娘・萩原葉子の小説を原作とした映画『天上の花』。この作品は、詩人・三好達治が師と仰ぐ萩原朔太郎の末妹・慶子に長年思いを寄せ、結婚に至るも、奔放な彼女への愛と憎しみの間で苦悩する姿を描いています。
甃のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
ああ、桜の花びらが(静かに次々と散っては春の風にゆったりと舞うように)流れていく
乙女たちのもとへ、花びらが(舞うように)流れていく
乙女たちは静かに語り合いながら歩いている
明るく晴れやかな日に、彼女たちの足音が空に響いて流れていく
ときおり、顔を上げて見つめながら、
曇りのない美しいお寺の春の中を通り過ぎていく
お寺の屋根瓦は(古寺らしく苔が生えて)緑色にしっとりとし
いくつものひさしには
風鐸(ふうたく)が静かに揺れている
そんな中、私はひとり
自分の影を見つめながら石畳の上を歩いている
探究的な考察
みれい:ねえ、さっき『甃のうへ』を読んだばかりなんだけど、あの「あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ」ってフレーズ、どこかで聞いたことある気がするんだよね。
ゆい:うん、私も。すごく有名な詩だよね。
みれい:それで、ちょっと調べてみたら、『甃のうへ』って三好達治の『測量船』に収録されてるんだって。ワタシ、知らなかった!
ゆい:えっ、そうなの?『測量船』って、あの「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ」の『雪』が入ってる詩集だよね。まさか同じ詩集に『甃のうへ』も入ってたなんて…
みれい:そうそう!小学校で習ったやつ!しかも『甃のうへ』って、三好達治の最初期の作品で、すごくポピュラーなんだって。1960年代にはもう新しい古典って言われてたらしい!
ゆい:石の上って、詩の中で自分の影を石畳に映してるイメージがあって、静かでちょっと切ない感じがするよね。
みれい:うん、あの影の描写、孤独だけど優しい。なんか、私たちも今、この石の上に座って、同じ詩に心を動かされてるって思うと、不思議なつながりを感じるな。
ゆい:私も。今まで何気なく読んでたフレーズが、三好達治の詩だったって初めて気づいて、ちょっと感動しちゃった。
みれい:詩って、こうやって誰かと一緒に読むと、いろんな発見があるんだね。
問 題
以下の部分に詠み込まれた情景を説明せよ。また、そこから作者のどのような気持ちが読み取れるか?
- あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ
- ひとりなる/わが身の影をあゆまする甃のうへ
- 「うららかの跫音空にながれ」から、どのような音や雰囲気が感じられるか、簡単に説明しなさい。
- 「風鐸のすがたしづかなれば」について、この表現が春の寺の情景にどのような効果を与えているか説明しなさい。

- 2 ひとりなる/わが身の影をあゆまする甃のうへ
- 周囲には乙女たちが語らいながら歩いているのに対し、自分一人が静かな寺の石畳の上を、自分の影を連れて歩いている様子が描かれている。
- 心情→「ひとりなる」と自らの孤独を強く意識し、石畳に映る自分の影を見つめながら歩くことで、寂しさや内省的な静けさを感じている。
- 「風鐸のすがたしづかなれば」という表現は、寺のひさしに吊るされた風鐸が静かにたたずんでいる様子を描いており、春の穏やかで落ち着いた雰囲気や、時間がゆっくりと流れる静けさを強調している。
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