空気と責任の時代――認知バイアスに抗う教育実践

【教員研修・授業概要】

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Ⅰ 問題意識:空気と責任の構造

 現代の日本社会では、情報環境の変化とともに「空気」に左右される言説が増加している。2024年の東京都知事選をめぐる石丸伸二氏への熱狂とその後の急速な批判の広がりは、その象徴的な事例であろう。メディアやSNS上では、「あの熱狂は認知バイアスの典型だった」とする分析が行われているが、その多くは石丸氏の影響力が弱まった後に登場している。つまり、批判の“理性”さえもまた、空気の反動によって生まれた可能性がある。

 この現象は、社会だけでなく、教育現場にも共通する。学校という小さな社会でも、学力不振の原因を「教員の教え方」や「環境のせい」とする傾向が見られる。これは社会全体に広がる「責任の外部化」の縮図である。批判が流行し、責任が外に押し出される時代に、教育はどのように「自ら考える力」を育むべきか――本稿はその課題に焦点を当てる。


Ⅱ 理論的背景:認知バイアスと社会構造

 心理学では、人の思考には無意識の偏り=認知バイアスが存在することが知られている。代表的なものに「確証バイアス」(自分の信念を支持する情報のみを集める傾向:チェリーピッキングなど)、「同調バイアス」(集団の意見に合わせる傾向)などがある。SNSの普及により、これらの傾向は可視化され、かつ増幅された。情報は「真実性」よりも「共感」や「拡散力」で評価され、結果として“空気に基づく真実”が形成されていく。

 石丸現象に見られた熱狂と冷笑の繰り返しは、その典型例である。人々は論理的検証よりも「今この瞬間、空気的に正しい」(空気への依存)とされる立場を選び、思考の責任を群衆心理に委ねてしまう。


Ⅲ 教育現場における相似形:責任の外部化

この「空気への依存」は、学校という日常的な場にもその影を落としている。
たとえば、
「成績が上がらないのはあの教師の問題の出し方が悪いから」
「授業が理解できないのはあの教師の説明が下手だから」
といった、一部の生徒に見られる外的責任の転嫁(教員への責任転嫁)がその一例である。

 こうした傾向の背景には、SNSをはじめとする情報環境の変化があると推測する。SNS上では、誰もが自己を抑制することなく感情を即時的に表現できるようになり、自己の失敗や不満を「他者のせい」として発信することが容易になった。結果として、責任を自己の内側に引き受けるよりも、外部要因に求める思考様式が、学校というミクロな社会にも浸透していると考えられる。

 もちろん、教育環境(教員不足による指導力の低下)や制度的課題(記憶力中心の学習評価制度)が背景にある場合もある。しかし、こうした思考の習慣が過度になると、「自己省察」や「問題解決力」が育ちにくくなる。
 成績不振を外部要因に帰す傾向は、社会における「批判の流行」と同じ構造を持つ。つまり、学校は社会の縮図であり、そこでの思考様式は社会全体の価値観を反映しているのである。


Ⅳ 授業実践:批判的思考とメディアリテラシーの融合

 ここでは、この課題に対応するため、高校国語の授業において「認知バイアスをめぐるメディア分析」という単元を提案したい。題材として、石丸伸二氏に関する報道やインターネット上の記事、SNSコメント分析など複数の資料を比較し、以下の3つの視点から考察を行うものである。

  1. 誰が語っているのか(発信者の立場と動機)
  2. いつ語られているのか(発言のタイミングと世論の動向)
  3. どのように語られているのか(感情的訴求・表現技法の分析)

 授業の目的は、賛否の立場を決めることではなく、「なぜそのような見方が生まれるのか」を問い直すことである。
 生徒たちには、「冷静な批判」と称される言説の中にも同調圧力や感情的バイアスが潜んでいることに気づかせ、情報を“空気”としてではなく“構造”として捉える視点に気づかせたい。


Ⅴ 考察:理性と省察の教育

 この実践を通し、気づかせたいのは、理性とは空気の外に立つ勇気であるということだ。

 「自分は今、安全な側に立っているのではないか?」
 「この批判は本当に自分の判断なのか?」

 こうした自己省察の問いを投げかけることが、情報リテラシー教育の核心である。

 同時に、教員自身も「責任の外部化」から自由ではない。授業の成果を環境や制度のせいにせず、自らの授業設計や関わり方を省みる姿勢が求められる。
 教育者が自ら省察する姿を見せることこそ、生徒が“空気に抗う理性”を学ぶ最大の教材となる。


Ⅵ 結語:空気を読み解く力の教育へ

 批判が流行する時代、理性はしばしば空気に飲み込まれる。しかし、教育はその空気を読み解く力――つまり「考える力の再構築」を担っている。認知バイアスに気づき、責任を外部化しない思考を育てること。
 それは、情報社会における新しい「国語教育」の使命である。


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