男の行方はだれも知らない

 (赤い花を部屋の南に挿してみたら世界が変わった

第二話 男の行方は誰も知らない TikTock 男の行方は誰も知らない

その年は珍しく雪の少ない冬でその晩も冷たい雨がふっていた。一人の男がコンビニで雨が止むのを待っていた。

「あーーあー、やっぱりクビになっちゃったなあ。」

男が勤める短期大学ではコロナの影響で教員たちが三年任期で雇い止めになっていた。以前からの知り合いも数少なくなっていた。男は雇い止めに異議を唱えたことから、経営者たちから、きっとよく思われていないだろう、と感じていた。

「それにしても、これからどうすればいいんだろう?こんなに急に、クビになったら次の仕事などみつかるはずがないし…。」

男には次の仕事の当てがなかった。近くの国立大学や医科大学で、非常勤講師の口を探しても、時期が時期だから雇ってくれるはずもない。毎月のローンの返済の期日も迫ってきていた。

雨脚が弱まったので男はバス停までトボトボと歩き、そこへやって来たバスに乗った。バスは仕事帰りのサラリーマンや部活帰りの学生たちを乗せてJRの駅へ着いた。

駅に着くと男はスタバでこれからのことを考えることにした。男は甘い物が大好きだった。ストロベリーフラペチーノが真っ先に目に入った。スタバの店員は溢れる笑顔で男に尋ねた。

「お客様、サイズは?」
「え?サイズ?わりと小さいやつで…」
「え?ショートですか?」
「あ、いや、意外にショートではないやつで…もう少し大きいほうがいいかも…」
「トールでよろしいんですか?」
「あ、そんな感じです…。」

男はよく分からないまま、ストロベリーフラペチーノを手にして席に着いた。今の男の気分にそぐわないほど、ストロベリーフラペチーノは無茶苦茶甘かった。

スタバで男は雨が止むのを待っていた。しかし、男は雨が止んでも格別どうしようというあてはなかった。だから、男が雨やみを待っていた、というより雨に降り込められた男がスタバで途方に暮れていたというほうが正しかった。

「これからどうしようか。コロナのせいでハローワークに行っても、仕事は見つからないらしいし」

男はずっと考え込んでいた。男がスマホを手に取ると、だいぶ前に登録したリクナビからメールが来ていた。開くとこう書いてあった。

「あなたの【気になるリスト】に保存されている企業が求人募集を開始しました。」

そこには塾の講師の求人情報がたくさん載っていた。しかし、どれも男のやりたい仕事ではなかった。しかも、すべて関東での仕事である。

「やはり、地方での仕事は、コンビニのアルバイトとか肉体労働しかないのかなあ…」

そう思ってふと窓の外を見ると二階へ向かうエスカレーターが目についた。ここでいつまで時間を持てあましていても、何にもプラスにならないだろう。そこで、男はエスカレーターで二階へ行くことにした。

この時間なら、二階には誰もいないだろう。前に二階にはマネキンしかないという話を聞いたことがあった。静かな所に行けば、少しは気が紛れるかも知れない。

それから、なんぷんかの後である。二階へ上る幅の狭いエスカレーターの中段に一人の男が猫のように身を縮めて息を殺しながら、上の様子を窺っていた。動かないエスカレーターの途中で男は身をかがめていた。二階はすでに明かりも消えていたが、その天井には時々、光が映っている。二階から漏れてくるかすかな明かりを頼りにエスカレーターのステップを上ると、そこでは誰かが懐中電灯を灯している。

こんな時間にいったい何をしているんだろう?男はひどく気になってエスカレーターに身を伏せて、上の様子を窺った。こんな時間にこんな場所にいるからには、きっとただの暇人ではないだろう。

男はヤモリのように足音を盗んで、やっと急なエスカレーターを一番上の段まで這うようにして上った。

見ると二階には噂に聞いた通り、いくつかのマネキンが無造作に並べてあった。懐中電灯の光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、マネキンの数は正確には分からない。

その時、男の目はマネキンの中にうずくまっている人間を見た。黄色の作業服を着た背の低い、ガリガリに痩せて紫色の髪の毛をした猿のような老婆であった。

そのとき、男は卵の腐ったような強烈な臭気に鼻を覆った。

「うわ、く、くさい。なんだこの匂いは!さては…」

男はマスクをつけるのを忘れていたことに気がついた。この時間なら、この二階に人は少ないだろうと油断して、マスクを付けていなかったのだ。本来ならマスクはコロナ対策だったのだが、まさかここでおなら対策になるとは男は思ってもみなかった。

老婆はマネキンにしがみついている。男はろくぶの恐怖としぶの好奇心とに動かされて、しばらくは呼吸をするのも忘れてしまった。懐中電灯に照らされたマネキンをよく見ると青い目に鼻筋の通った若い男のマネキンだった。

「いったい、何をしてるんだろう?」

すると老婆は懐中電灯を床に置いて、今まで眺めていたマネキンの首に左手を掛けると、右手でマネキンの顔をなで回した。

「ジュ、ジュリーっ!愛してるっ!!」

遠くから見ていた男はあまりの気持ち悪さにせすじが寒くなった。この時の男の心持ちを説明すれば、仕事がなくなって明日からのローンの支払いをどうするかなどと言うことは、すっかり意識の中から消えてしまっていたのだ。

「た、大変だ!早くあのマネキンを取り返さないと!」

あの老婆はきっと、あのマネキンを盗むつもりなんだろう。気持ち悪さを我慢して、男は老婆の前に飛び出した。老婆が驚いたのは言うまでもない。よだれを垂らした老婆は男を一目見ると、誰かに蹴飛ばされたかのように飛び上がった。

「おのれ、どこへ行く?」

逃げようとする老婆の手を捕らえ、男は老婆を大理石のフロアにねじ倒した。

「何をしていた?言え!言わぬと警察を呼ぶぞ!」

老婆は執拗に黙っている。両手をわなわな震わせて肩で息を切りながら、目がまぶたの外に飛び出しそうになるほど見開いて、何も言えずに黙っている。

「おれはおまえがここで何をしていたか、知りたいだけだ!」

その言葉を聞くと老婆は突如、男の顔を見てこう言った。

「おまえなんぞ、信用できるか!どうせ、わしのジュリーを奪いに来たんじゃろう?これはわしのジュリーじゃ。もうずうっと、ジュリー一筋なんじゃ。おまえのようなどこの馬の骨ともわからんやつに、わしの大切なジュリーを渡すと思うか?だいたいな、このフロアには何体のマネキンがおるか知っておるのか?その中から本物のジュリーがどれか、おまえに分かるのか?ジュリーはな、青い目の中にいくつかの星を持っておるのじゃ。鼻筋の通った外タレのような顔立ちのマネキンなんぞ、ここには何十体もあるんだぞよ。その中から本物のジュリーがおまえに見分けられるのか?わしのジュリーはな、わしにしかわからんのだ!だいたいな、マネキンの顔立ちは手足の組み合わせのバランスもしっかり計算されて作られておるんじゃぞ。おまえなんぞが、ジュリー一筋、50年のわしにかなうはずがなかろう。」

男は老婆の話を黙ってじっと聞いていた。話を聞いているうちに男はだんだんバカらしくなって、しまいに猛烈に腹が立ってきた。そこで男は老婆をみながらニヤリと笑ってこう言った。

「では、おれが自分の好みのジュリーを選んで、ここから連れて行っても恨みはしまいな?おまえの話では、おれにはおまえのジュリーは分からないことになるんだよな?」

男は老婆を突き飛ばし、老婆がなで回していたマネキンを右手で掴むと軽々と持ち上げて、エスカレーターを駆け下りた。

それからしばらく経って、死んだように倒れていた老婆が体を起こした。老婆はうめくような声をだしながらエスカレーターの所まで這って行った。

「ジュ、ジュリーーーーーーっ!」

老婆がエスカレーターの一番上から下をのぞき込んだが、もう男の姿はどこにも見当たらなかった。

男の行方はだれも知らない。

以下の問題に答えなさい。

①…男はどこをクビになった?

②…男がスタバで頼んだサイズは?

③…男はどこの二階に上がった?

④…二階で老婆は何をしていた?

⑤…男はなぜ、老婆からマネキンを奪ったのか?

さあ、あなたの聞き取りの力はどうでしょう?

何回かやると、少しずつコツがわかって来るような気がしませんか?笑

問題の答え

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