私が作りたい学校(3:先生と生徒の仲がいい学校)

この記事では以下の3つのことについて書いています

1:学校は生徒が必要なことを教える場所

2:生徒が先生と同じ体験をして課題を探す(先生と生徒の仲がいい学校)

3:みんなと同じでなくていい(現代教育の致命的な弱点)

明日からテストのテスト嫌だなあ

また、ノー勉?

勉強しようと思うと眠くなるんだ

しょうがないなあ

学校は生徒が必要なことを教える場所

学校というとテスト

そんなイメージありますよね。

では、なぜそんなネガティブなイメージしか学校にはないんでしょうか?

もちろん、楽しい思い出がたくさんあって、学校がいつまでもいいイメージとして残っている人もたくさんいるでしょう!

でも、テストの記憶ってどうでしょう?

すごくいい点数を取ったことがあっても失敗した記憶の方が強く心に残っていたりしませんか?

それはどうしてなんでしょうね?

しっかり勉強してなくて先生に怒られた

赤点を取って補習授業を受けた

通知表を親に見せたときに成績が下がって小言を言われた

こういう経験がずっと記憶の中に残っているからじゃありませんか?

もしかしたら、友達に負けてすごく悔しかった経験なんかもあるのかも知れませんね

学校には教育課程というのがあって一年間に教える内容が決まっています。それが六年間とか三年間とかでまとまっていて必ず生徒に履修し修得させなければなりません。

ことばだと難しいんですが簡単に言うと一定期間内にテストをやって合格点を取らせる教育をしなければならないと言うことです

みんなそういうことは知らないまま学校に通ってテストを受けて来たんです

こういうルールを決めているのが文部科学省です

学校とは関係ない場所(いわゆる永田町)で私たちの知らない間に勝手にルールが決まっていくのです

数年前、高校の理科に基礎科目ができ、一年生で物理基礎を全員学習しなければならなくなりました

学校によってカリキュラムの違いはありますがこのことは多くの高校生を苦しめているはずです

「一年生の時に物理基礎を取らなかったら二年生で理系に進めなくなる」

つまり、文系に進む子たちのことは無視して決められた文科省の縛りのせいなのです

こういう文科省の縛りがない学校を私は目指したい

学校は生徒が必要なことを教える場所」なんです

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生徒が先生と同じ体験をして課題を探す

公立学校の場合、先生は公務員です

私もずっと公務員として働いてきました

身分や給料面では優遇されていましたが、残念ながら部活動の指導や大会への参加に伴う

引率となると十分な保証がされないので

学校で部活動を指導するかどうかは

各先生方の専門性やヤル気などに左右されています

学校生活において部活動はとても重要です

部活動を指導するように先生と生徒が同じ場で過ごすことができれば理想的です

もちろん、そこには両者の間で絶対的な信頼関係が必要ですし、生活する上での

ルールも必要です

ここでも東京都東久留米市の自由学園の例がとても参考になります

寮生活を通し日常的に生きる上で必要なことを探していく

それは些細なことから始まっていきます

例えば、掃除の仕方、箒の使い方、枯れ葉の掃き方という些細なことを学びます

掃き清められた神社の境内には落ち葉が山のようにたまります

それに火を付け焼き芋を作ります

仕事は辛いものではなく、ひとつひとつの仕事には

目的や楽しみがあります

そうすることでまた次もやりたいという意欲がわきます

先日、私の古い友達がこのブログを見て

「甘い!」とのコメントをくれました

とてもありがたい言葉でした

なぜなら、私自身もそう思っていたからです

そして、その友人もずっと前から学校を作りたいと願っていた人だからです

学校は単なる理想だけで作れるものではないということを誰よりも知ってい

るからこその厳しい言葉でした

みんなと同じでなくていい(現代教育の致命的な弱点)

その古い友人ははっきり言っていました

「自分は地元の著名な実業家の祖父に自分の力で必要な金を稼げ」と言われ

それを実践してきた

「公務員は働かないで給料をもらえれればいいとしか思ってない」

だから、学校建設や地域復興について教育委員会や市役所を頼りにした

私を「甘い!」と切り捨てたのです

彼の第一信条はまずその点で私とはかなり異なっていて

私にはとても刺激的でした

「小さいときから自分は先生など信じてない。先生の言うことなど聞いたことがない問題児だった」

彼はこう続けました。

「今、自分は様々な支援をしている。それは社会的な弱者と呼ばれる人たちの役に立ちたいという思いから」

彼は東京で勝ち組として活躍してきました

しかし、もはや彼の視界には東京は過去の街として映っているのかも知れません

今や彼は自分のことよりも多くの人のことを優先して考える立場にいるのです

私自身、彼との久しぶりの会話はとても貴重な時間でした

これから先の自分の生き方を彼と語れたことが何よりもありがたいことでした

みんなと同じである必要はない

私はそう思っています

私の友人と同じように自分の意志を曲げずに自分の信じる正しいことを

社会のために実践すればそれが一番正しいことになります

今の時代は人と違うことをすることを極端に嫌います

はたして本当にそうなんでしょうか?

人と違ったことをしてもアインシュタインやエジソンのように

天才と呼ばれた人たちはたくさんいます

もしかしたらかなりの天才は発達障がいを持つとも言われています

そこを私たちは今こそよく考え直さなければならないと

心の底から思っています