私が教師を辞めた理由、その後に東日本大震災の時の福島の教育現場の混乱の状況を簡単にまとめてあります。
今回のコロナに対するオンライン教育のあり方が学校内でも温度差がある現状を踏まえ、その継続と問題点を指摘しています。さらに実践例や実践者の指摘する問題点も紹介しています。
AI学習プログラムなどの活用もこれから有効となるので文科省はじめ都道県教育委員会などの思考が変われば教育現場に大きな改革をもたらすことをまとめてみました。
今年の3月のこと
私が辞める時に顧問をしていた部活の女子マネージャーとの会話
先生、三年生になったら国語教えて!
…おれな、先生辞めるんだ
えええ!?なんで?なんでやめちゃうの?
いろいろあってさ
ええっ?辞めないで!辞めちゃやだ!
ありがとな、でも、もう決めたんだ
う~ん…今までありがとうございました…
学校が嫌になった
私が高校教師を辞めた理由は「授業することが嫌いになったから」ではありません。
「ただ単に学校が嫌になったから」それだけです。
学校の何が嫌になったか、前のブログでも書いたように学校ごとの独自性がなくなったこと、
どこへ行っても同じことをやらされるだけというのが嫌だったんです。
普通科とか商業科、工業科、総合学科と名前や性格は違いますが県教委からの指示に従って
先生がやることはどこもみな同じです。
文科省(県教委)から言われた通りにやる、逆らえないとうのが本当に嫌になりました。
教頭からの誘い
高校にはいくつかの部署があります。(校務分掌と呼ぶ。例えば生徒指導部、進路指導部など)
私は通算で6校に勤めました。若い頃はどんな仕事も新鮮で覚えるのに躍起でした。
特に教育相談(カウンセリング)は積極的に学びました。
学校の中枢となるのは教務部ですが、教務部長(主任)をやればかなりの確率で
校長、教頭になります。
教務は学校の一年間の計画や成績などを管理するので学校の中枢と言える訳です。
10年くらい前に当時、勤務していた高校の教頭に「ぜひ、管理職にならないか」と
誘いを受けました。私は45歳で学年副主任をし、国語科の主任も務めていました。
その勤務校には教頭が二人いて、若い方の教頭から執拗に誘われました。
私は何となく嫌な予感がして断りました。もちろん、時間をかけて考えたわけですが、
管理職には勤務時間も定まっておらず、対外的にも学校内でも必要以上に神経を使います。
当時から潰瘍性大腸炎を患っていた私はとてもそのような環境に身を置くわけに行かない
と考えたのです。翌年の3月、私の判断は正しかったことに気づかされます。
東日本大震災のこと
2011年3月11日、忘れもしない東日本大震災が起こりました。
当時、私は新入生の合格者を決める判定会議の場にいました。
居合わせた先生たちの携帯の緊急警報が鳴り響くとあの長く大きな横揺れが襲ってきたのです。
その学校の校舎は鉄筋コンクリート4階建ての立派な校舎でしたが長時間の大きな横揺れに襲われ、
校舎の柱という柱にX字型の大きなクラックが入り向こう側が見えるくらいに隙間ができました。
また、1階の教室の犬走りには落下したコンクリート片が散乱しました。
私は自分の子供たちのことが真っ先に頭に浮かびました。メールすると幸い無事が確認でき、
ほっとしました。
次に職員室に戻ると整然としていた職員室の中は強盗に入られたかと思うほどに
もう無茶苦茶でした。あちこちにガラスや湯飲みのかけらが散乱し、落ちていた
教科書類を拾うこともできません。
校庭には下校途中の小学生たちが寒空の中で震えていました。
余震を恐れて校庭にブルーシートを敷いてしばらく様子を見ることになりました。
その日は3月なのに小雪が舞っている寒い日でした。
余震は続けて襲ってきます。それに怯えながら校庭から4階建ての校舎を眺めると
外壁に大きなひびが入り、傾いているように見えます。
(後から分かったことですがどうやらこのあたりは地盤がゆるく建物を建てるには
あまり適さない場所だったようです)
ニュースはこの地震がマグニチュード9、震度6強だと伝えていました。
そして、さらに最悪な事故が起こりました。福島第一原子力発電所の事故です。
この地震により1号機から3号機で自動停止するも大津波が福島第一原子力発電所を襲い
全電源が喪失、核燃料の冷却が不可能になりメルトダウンが発生したのです。
そしてほどなく1、3、4号機の原子炉建屋内で水素爆発が起こったのです。
この事故により大量の放射性物質が拡散しました。原発から50km以上離れた
私の家にも放射性物質が降り注いだという当時の忌まわしい記憶は今もなお鮮明に蘇ります。
それから教育現場は混乱しました。
校舎倒壊の恐れがあり、使える体育館や安全が確認された教室に2~3クラスの生徒を入れ、
仕切りで区切って授業をしたのです。隣で授業する声が聞こえる中で授業をしたり、熱中症に
なりそうな環境の中で過ごしたりととにかく授業以前の問題でした。
福島、宮城、岩手の三県では津波によって多くの尊い人命が失われました。
私は内陸に住んでいましたので津波の影響はありませんでしたが、
毎日、放射能におびえる日々を送りました。
私が管理職になることを断ったのは正しかったと思ったのはこのことがあったからです。
le>特に住居に被害のなかった先生たちは東日本大震災の時も勤務を求められました。
放射能が降り注いでも、ガソリンがなくても手段を探して学校に行きました。
学校の体育館が原発事故の避難所となった所もあり、交代で炊き出しなどのお世話をしたそうです。
(私の学校は校舎倒壊の恐れがあり隣にあった体育館は避難所になりませんでした)
当時、福島では放射能に怯えながら働いていたり、ガソリンやトイレットペーパー、食料を求めて
何時間も列に並んだ人がどれだけいたか分かりません。
私たちはあの時もコロナ以上に身の危険を感じ放射能という見えない恐怖や不安と戦いながら
授業をしました。
0.44msvと聞いてピンときますか?通常(0.08msv)の6倍近い数字です。でも、これでも低いほうで
ホットスポットへ行くと2msvという所もありました。
私たちはなかなか手に入らない高価なガイガーカウンターが手放せず毎日その数値を見ていたのです。
オンライン教育への取り組みと問題
今年、コロナの発生と感染拡大が進む中、各学校では対応に苦慮しました。
私が退職した3月時点でのの緊迫感はそこまでではありませんでした。
しかし、私が退職した4月以降ものすごい勢いで感染が広がり、学校の対応はなかなか難しかった
だろうと容易に想像がつきます。
非常事態宣言が出て生徒たちが学校に行けなくなると、それまで文科省が進めていたICT教育と
いうものがオンラインを活用した学習支援へとつながっていきました。
実際、リモートワークのように自宅から会社に出勤する形を取らないものが増え、感染防止に大きな
効果があったことは事実です。
教育現場においてはオンライン学習に関しては賛否が分かれます。それと同時にここには先生たちの
オンライン教育への考え方の違いやスキルの問題が出てきます。
そもそも学校は対面での授業が基本です。そして、教員の平均年齢は上がる一方です。
はっきり言えばPCやスマホのアプリでさえ使いこなせていないのです。
そんな状況でオンライン教育とかICT教育とか言われても対応ができないのが現状です。
私自身も4月からYoutubeに動画を上げてきました。学校に行けない子供たちが見てくれたらとの
思いから100本近い動画を作ったのです。
テスト対策動画は思いの外、好評で個人で「1」から作ったへたくそな動画ですが再生回数が
6000回超えたものもありました。
ただ、このように動画を作ってみて、ある問題に気づきました。
それはやはり、動画だと一方通行になり、相手が見えないということです。
これはオンライン授業でも同じことが言えます。
今年、大学に入った子がまだ一度も大学に行けず、全てオンライン授業になっていると聞きました。
大学に通ってテストを受けるよりも課題が多くしかも友達もできないので大変だと言います。
「せっかく入った大学がつまらない」、「親の収入がなくなったから今のままの大学では
お金を払う意味がない」と言って退学する子が増えていると言います。
オンライン教育の実践を継続する
このようにまだまだたくさんの問題を抱えるオンライン教育ですが、
私はこの歩みを止めてはいけないと考えています。
若い先生の中には積極的に取り組み、それをマスコミが取り上げた事例などもあります。
私もそういう取り組みをしている若い先生をたくさん知っています。一人ご紹介しましょう。
ICTを使用してIshinabe先生が作った演習テキストをご覧下さい。Microsoft formsをよく研究し、
上手く使って短時間で生徒の答えを引き出しているのが分かります。
彼の悩みは担当者全員でデータの分析・共有が難しいこと、彼個人の実践になっていることだそう
です。もっと学校全体で取り組める環境が整えばオンライン教育自体の質の向上が見られるのでは
ないでしょうか。
AI学習プログラムの活用も効果的
また、AIが発達した現在、学習の遅れを取り戻すために開発されたAI学習プログラムが効果的
であることが知られています。
確かに対面でなければうまく伝わらないことはたくさんあります。それは教育、授業においては顕著
です。授業には単なる知識の伝達をすること以上に深い意味があるからです。
教えると言うことは先生と生徒の関係が非常に大切です。信頼関係なくしては授業の効果は
望めません。
しかし、AIによってその子の学習の遅れが取り戻せるなら、それは積極的に取り入れるべきです。
それは自主性の涵養にもつながるでしょう。
私たちは現代に生きる上で、もはやAIや機械との共存無しではありえないのです。ただ、
教育の現場でこれを推奨し実践するのはかなり大変です。
なぜなら、そこにいわゆる「思い込み」や「偏見」が存在するからです。
このいわゆる「バカの壁」を壊して新しい感覚で教えることができれば
(文科省や教育委員会がこの問題を受け入れられれば)日本の教育は少しずつ変わっていくだろう
と思います。
ここで私が言いたいことはAIが絶対だと言うことではありません。当然、教育は面と向かって
行われるのが基本です。先に述べたとおり信頼関係が大事ですから。ただ、学習の遅れを取り戻
す手段としてのAI学習プログラムは正しく使えば有効な手段だと言うことです。決して対面授
業を否定しているわけでもなければAI万能主義を唱えているわけでもありません。
コメント
[…] (ITやAIが時には人間にとって必要不可欠なものだと「おれな、先生やめるんだ」の記事でも書いておきましたが、ここでの話と矛盾するものではありません。自然の中での生活もITやAIもどちらも人間の将来に大切なものだと伝えたいのです。) […]