今回の内容は
1:「教師が教え、生徒が学ぶ」はたくさんの弊害を生んできた
2:「教師が伝えることに生徒が応える」という昔の教育へ戻す
3:「お互いの存在を肯定する」=「信頼」の関係
についてです!
お読みいただいてぜひコメントをお寄せください!よろしくお願いします!
テストまったくダメだった
「枕草子」の作者は分かったよね?
そんなの簡単だよ!紫式部!
また、先生に怒られるよ!汗
清少納言!!
え~、また赤点だあ
「教師が教え、生徒が学ぶ」はたくさんの弊害を生んできた
教育ってなんでしょう?
私たちは当たり前のように学校へ行き勉強してきました
それは教師が授業で教えることを覚え
きちんと覚えて、テストでいい点数を取るためでした
でも、本来の教育とは
昔、生きていた人たちが痛い思いをしたり、苦しい思いをして
自分たちなりの知恵を生み出し、それを
次の世代の人たちに伝えるものでした
その知恵は
誰にでも通用するものではないかも知れないけれど
自分たちはこの時代でこんな風に生きてこんな風に考えた
そして、その中からこれだけは守らないとと
思うようになった
そういう知恵=経験を
次の世代に伝えることこそが教育です
学校のテストや授業で質問されることは
相手が知っているかどうか試すためになされます
教師が教えたことをちゃんとおぼえているかどうか
質問されます
私はテストの存在そのものを否定するのでは
ありませんが、ここに潜んでいる教師の心理は
(生徒を)試す=(生徒への)信頼を一度停止する
というものに近いです
分かりやすく言うと学校での教育は
教師の側からの一方的な知識の伝達に過ぎず
そこに生徒の側からの学びたいとう意欲が見えません
知識を教えるだけの学校には何の楽しみもありません
また、資格や技能を身につけることだけに気を取られる
そういう教育には虚しさすら感じます
資格や技能修得に意欲を持って取り組むのは実は最初のうちだけで
そのうち、強迫観念に近いものに襲われるようになります
すると、知らず知らず心が蝕まれて行きます
それが「教師が教え、生徒が学ぶ」ということが生んできた最大の弊害です
「教師が伝えることに生徒が応える」という昔の教育へ戻す
「伝える」ことは単なる知識を「教える」ことではなく
伝える側の意志がこもっています
相手が小学生だろうと高校生だろうと遊び心を忘れない
伝える側が本気で遊ぶように伝えればそれを聞く生徒も教師が本気かどうかすぐに分かります
そういう関係は「信頼」を生みます
単なる知識の伝達ではないのです
さらに、そこには先人たちの生きる知恵や様々な生き様も反映されてくるのです
この「信頼」がないところには「応え」はあり得ません
教師の伝えることに生徒が応えるために
もし、だれが教師でだれが生徒か分からないような場を作ったならば
我々、大人が子供たちに伝えたいことは今よりも
ずっとダイレクトに子供たちの心に届き
そして、礼儀作法や言葉遣いも自然と変わり
今の混沌とした大人社会とは違う、
昔の日本人が美徳としてきた価値観を子供たちが体得するだろうと
思います
「お互いの存在を肯定する」=「信頼」の関係
文科省の統計によると不登校の児童生徒は
小学校は3万5032人(同4584人増)、中学校は10万8999人(同5764人増)と
年々、増えています
全児童生徒に占める不登校の割合は、小学校で0・54%、中学校で3・25%と
言いますので小学生184人に1人、中学生30人に1人が不登校です
これ以外にも統計に出てこない不登校児童生徒はもっとたくさんいます
原因は千差万別で一概に決めつけることは
到底できません
ただ、はっきりしていることは不登校の児童生徒には
「学校」が楽しい場所と認識されていないのです
中には教師が原因で学校に行きたくない子もいたりします
大事なのは教師も生徒もお互いの存在を肯定し認めあうことです
教師も生徒も孤独にならない環境をを作ることが大事です
何もできなくても自分を認めて受け入れてほしい
つながっていたい
ぬくもりがほしい
そういう愛情に飢えている子たちがたくさんいます
でも、これは現代の社会において
わたしたち誰もが抱いている本当の気持ちなのではないでしょうか?
こういう時代だからこそお互いを肯定し尊重する
そういう信頼(関係)を回復することだと私は信じています
信頼の回復なしに教育は語ることすらできないのです