AI(人工知能)から考える現代の教育に足りないもの

現代の教育はオワコンなのか?

最近、clubhouseでたくさんのroomができていて

特に教育関係者のroomに入ることが多い

その中に「Ria」さんという女性がいるroomを

偶然、見つけ、題名にも惹きつけられて入ってみた

そこで次のような質問をしてみた

「言葉の化学変化についてどう思いますか?」

と言いますと?

そうですね

こちらの意図したことと違う意味が相手の中で勝手にできあがることです

なるほど

それに近いことは最近、私にもありました

例えば若い女子高生のような子が相手だと化学変化がおきやすいです

どんなふうに?

伝えたかった内容を自分の好き嫌いをベースに勝手に内容を書き換えちゃうんです

あ~、でも若い子にはよくありますよね

20代ぐらいの若い先生はそのあたりの対応が難しいんです

下手すると教育委員会に直接、話が行って指導されます

嫌になって辞めてしまったりストレスがたまる先生もたくさんいます

そうなんですね

どうやってそういう先生を守っていくか

文科省の対応が必要ですね

以前にお話した方が今の教育はオワコンだと言ってました

AIはBigDataをひとつひとつ解析(古文の品詞分解と酷似する)

AIの進化に伴い、教育の分野までAIが参入してきている

私自身はAIの教育界への参入は否定しない

なぜなら、AIによる反復学習は効果的だと思うからだ

しかし、それは部分的なものですべてAIで解決するものではないと

思っている

そもそもAIとは何なのか?どんなふうに作られているのか?

現在の人工知能は算数と理科と図工を掛け合わせたもの。プログラムの構成は作文です。

SEとして活躍する私の教え子が教えてくれました

大人が算数、理科、図工、国語を本気でやった結果が人工知能です。

彼は続けます

「プログラム構成はオブジェクト、メソッド、プロパティと名前は変わるが現代文、古文を解く、そしてそれを書くのと何ら変わらない」と

つまり、ひとつひとつの言葉を品詞分解したり、キーワードを拾い集めたりしながら内容を理解し再構成するという意味でしょう

絵の具を混ぜ合わせて色を作るのが図工、その色を数字にするのは算数、そしてその数字をプログラムにするのが国語、それを物体として動かすのが理科です。

色は数字で表され「256色」なんだそうです

どの色をどこに配置するかを決めるのが国語

今の教育に足りないのは今勉強しているのが将来的に何になるかわからないところ

「それを教える教師がいない

分かっていてもできない、やらない

学校とかでの勉強は次のステージに進むための作業になっている」

私には彼の気持ちが痛いほど分かりました

公式で簡単に答えを出すことを教えられる今の生徒たち

難しい問題も素早く解ける「解法のテクニック」が重視される今の日本の教育

Googleストリートビューを作ったのは文系の人です。そのライブラリーであるopen cvは火星探索に使われています。

彼はSEとしての経験も豊富で私には想像できない世界に生きています

彼の言いたいことは「AIは極めて理系的なものとして考えられているがそうではない」

ということ

さらに彼の言葉が重みを増していきます

「古文や現代文、昔の言葉を勉強して何のためになるの?」と思う学生が多いのですが
それが身近にあるストリートビューや火星探索の原点となっている、リアルな現実を知って欲しい。

国語を学習する時にはかならずしっかり内容を理解することが重要です

当然のことながら言葉の意味が分からなくては論外です

そもそも日本語は一語違うだけで大きく意味が変わります

「花咲かなむ」「花咲きなむ」は一文字違うだけです

しかし、意味は全く違います

これを品詞分解して助動詞と助詞の意味の違いから考えるのが

古文の読解です

彼はSEとしてまさにこれと同じことをしているのだと言います

実社会では「解法のテクニック」などまったく役に立ちません

問題をかっこよく解いてみせるために問題文を改ざんしたり

設問を変えてみたりするのは本当に邪道なんです

私の考える指導方法はとても時間がかかります

しかし、その壁を破って手に入れるものは

生徒たちの宝物となります

私のそういう教育方針を彼は支持してくれます

彼は私の授業をまじめに受ければ良かった、また授業を受けたいと

言ってくれます

私自身は少し恥ずかしいですが、そんな彼の言葉が胸に染みます

今の日本の教育に必要なものは「忍耐」の先にある楽しさを教えること

十代の若い人たちに私が伝えられること

「それは相手の気持ちを思いやることは

相手の心を自分のものと感じることだということです」

この人が今話していることはどんな意味があるのだろう?

それを考えながら話を聞くというのは主観的に聞くことではありません

その人が使う言葉にはひとつひとつに感情がこもっているのです

それは例え文章で書かれていても同じことです

言葉は口から出たら修正は効きません

「口は災いの元」と昔から言うように感情にまかせて

言ってしまってから後悔することがたくさんあります

それを聞く人に本気で伝えたいことがあれば

多弁になりがちです

聞く人はそこをじっと我慢して聞けるほど

忍耐強くないのが普通です

大人になればなるほど我慢強さは失われます

自分を正当化する人は大人になってからも同じことを

繰り返します

すべて忍耐力の弱さの表れだと私は祖父に教えられました

今の教育に必要なこと

それは一つのことに飽きずにじっと取り組む我慢強さの涵養です

辛いことを我慢してやれと言ってるのではありません

じっくりと取り組んで成果が上がれば次から楽しく

なる方法を覚えます

それが勉強をするコツです

古い昭和の考え方と言われても私はこれを守って行くことが使命だと

思っています

私はずっと教育に携わってきましたが最近ときどき教育界から離れて教育を考え直したいと思います

あまりに長くこの世界に居すぎて見えなくなっていたことがあると思うからです

また、次の世代を担う子供たちを育てるためには若い先生たちを育てることが急務です

今回、私にアドバイスをくれたSEの彼は二十年ほど前に母校で教えた生徒ですが私の想像できない世界を教えてくれました

彼のような視点で生徒を教えることの出来る先生の力になれればと思います

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