嘉応二年十月九日《古今著聞集》

本  文

 嘉応二年十月九日、道因法師、人々を勧めて住吉社にて歌合けるに、後徳大寺左大臣、前大納言にておはしけるが、この歌を詠み給ふとて、「社頭の月」といふことを、

  ふり ける 松もの言はば 問ひ まし 昔もかくや 住江すみのえの月

かくなむ詠み給ひけるを、判者俊成4)ことに感じけり。余の人々も讃めののしりけるほどに、そのころ、かの家領、筑紫瀬高荘の年貢積みたり ける船、摂津国を入らとしける時、悪風にあひて、すでに入海せとしける時、いづくよりか来たり けん一人出で来て、漕ぎ直して別事なかりけり。船人、怪しみ思ふほどに、翁の言ひけるは、「『松もの言はば』の御句のおもしろうして、この辺に住み侍る翁の参りつる』と申せ」と言ひて失せ けり

住吉大明神の、かの歌を感ぜさせ給ひて、御体ぎょたいをあらはし給ひける 。不思議にあらたなることかな。

口 語 訳

 嘉応二年十月九日、道因法師が、人々を誘って住吉の社で歌合わせを催したときに、後徳大寺の左大臣で、前の大納言でいらっしゃった(その方)が、この(会の)歌をお詠みになるといって、「社殿の前の月」という(歌合わせの題)を、

古くなった老松がもし物を言うとしたらきっと問いかけるだろうに。「昔もこのよう(に美しく輝いていたの)か、住の江の月は。」と。

このようにお詠みになったところ、判者の俊成卿は格別に感じ入った。(同席の)ほかの人々も大騒ぎしてほめたてたころに、その(左大臣の)領地、筑紫瀬高の庄の年貢を積み込んでいた船が、摂津の国を入ろうとしたとき、暴風にあって、あやうく沈没しようとした(その)とき、どこからやって来たのだろうか、翁一人が出て来て、(船を)こいで(体勢を)直し(たおかげで)、(命に)別条はなかった。船に乗っている人が不思議に思っていると、翁が言ったことは、「『松もの言はば』の御句が趣深いものでございまして、このあたりに住んでおります翁が参ったのだと申し上げよ。」と言って消えてしまった。(それは)住吉大明神が(左大臣の)あの歌に感じ入りなさって、御本体をお現しになったので(あろうか)。不思議で霊験のあらたかなことであるよ。

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