解 法
2024 早稲田大学 文化構想学部(大学入試過去問データベース)
第一問はA,Bそれぞれの文章を読んで設問に答える形式
Aの要旨
福沢諭吉は、競争を肯定的に捉え、それが個人の利益追求と社会全体の利益を同時に達成する手段であると主張しました。彼は、個々の人々が自由に行動し、自分の利益を追求することで、社会全体の利益も同時に達成されると考えました。これは、競争がゼロサムゲーム(一方が得れば他方が損するゲーム)ではなく、全員が利益を得られるポジティブサムゲームであるという観念に基づいています。しかし、この考え方は当時の日本社会には必ずしも受け入れられませんでした。当時の日本は、政治・社会・経済の激変期であり、多くの人々は自由競争の中で翻弄され、混乱していました。また、特権を持つ人々は競争そのものを侮蔑し、社会主義のような新しい思想も紹介され始め、自由競争論は古い思想と新しい思想の両方から攻撃を受けました。福沢諭吉の競争観は、個人の自由と責任を重視し、個々の人々が自分の力で成功をつかむことを奨励するものでした。しかし、その一方で、成功者に対する妬みや恨みを持つことを否定し、それが社会全体の利益を阻害すると考えました。この文章は、競争という概念が経済だけでなく、社会、政治、教育、国際関係など、あらゆる分野に影響を及ぼし、倫理、自由、正義にも関わることを示しています。そして、競争が人々を幸福にするのか、人を育て、鍛え、立派にするのか、それともただ勝者を傲慢に、敗者を卑屈にするだけなのか、という問いを投げかけています。また、競争が否応なくもたらす「発展」を永遠に続けることが可能なのか、という問いも提起しています。このような競争に関する問題は消えないどころか、より深刻になっていると述べています。福沢諭吉が「門閥制度」を否定し、「自業自得」を肯定した考え方が、「近代」の原理そのものであるとすれば、それらの問題は「近代文明」が続く限り、人類を絶えず苦しめ続けるでしょう。つまり、競争の問題は現代社会においても依然として存在し、その影響はますます深刻になっているということです。
Bの要旨
- 不徳の多様性: 人間には多くの不徳がありますが、それらが全て人間関係に害を及ぼすわけではないと述べています。食客、奢侈、誹謗などの行為は不徳とされますが、それらの行為が必ずしも悪であるとは限らず、それらの行為が不徳となるかどうかは、それがどのような状況で、どの程度行われ、どの方向に向かっているかによると述べています。
- 怨望の害: 怨望は「他人に対する不満や恨みの感情」を指します。怨望は他人に対する不平を抱き、自分を顧みずに他人に多くを求めると述べています。そして、怨望が満足されるためには、他人を不幸に陥れ、他人の状況を下げて自分との平等を求めることが必要となると述べています。(これは、他人の幸福を損なう行為であり、社会全体の幸福に対する害となる)
- 怨望の源: 怨望の源は窮困にあると述べています。しかし、ここでの窮困は物質的な貧困や困窮を指すのではなく、人間の自然な働きを阻む状況を指しています。(貧富の差がある社会でも、人々は自分の状況が自分自身によって生じたものであると理解しているから、人間の交際は保たれている)
- 怨望の解消: 怨望を解消するためには、人々が自由に言葉を発し、自由に働くことができ、自分の運命を自分自身で決定できる状況を作ることが必要だと述べています。
この文章は「人間の不徳と怨望」そして「それらが人間関係に及ぼす影響」について深く考察したもので、怨望を解消し、より良い人間関係を築くための方法についても示唆しています。それは、人々が自由に言葉を発し、自由に働くことができ、自分の運命を自分自身で決定できる状況を作ることです。(個々の自由と自己決定の重要性を強調したメッセージ)
問 一
問一 Aの文章に、傍線部「「怨望」、則ち成功者に対する妬み・そねみは読まなければならない」とあるが、「怨望」 の原因(源因)についてBの文章ではどのように述べているか。
「怨望」の原因に当たるのは「イ 人の自由な言論や活動の妨げられていることが「怨望」をもたらしている。」です。文章中では人間の自由な発言や行動を制限する状況が「怨望」を引き起こすと述べています。他の選択肢は、文章中で明確に「怨望」の原因として指摘されていません。ただし、これらの要素が「怨望」を増大させる可能性があるという観点は否定できません。それぞれの状況は、特定の文脈や個々の経験により、「怨望」の感情を引き起こす可能性があります。しかし、本文では「怨望」の主な原因は「人の自由な言論や活動の妨げ」であると結論付けられます。
問 二
問二 Aの文章に、傍報部b「新しい「文明」の原理」とあるが、その説明として最も適切なものを次の中から一つ選 び、解答欄にマークせよ。
「新しい「文明」の原理」の説明として最も適切なものは、「ハ 競争して私利を追求することが公益となる新しい原理」です。福沢諭吉は、個々の人々が自由に競争し、自己の利益を追求することが、結果的に社会全体の利益、つまり公益につながるという考えを提唱しています。これは、個人の「利達」の追求が自然に「他人の利達」にもなるという観念を示しています。この原理は、個々の人々が自己の利益を追求することで、社会全体が豊かになるという、近代市場経済の基本的な原理を表しています。この観点から見ると、他の選択肢は福沢諭吉の主張を正確に反映していません。したがって、最も適切な選択肢は「ハ」です。
問 三
問三 Aの文章に、傍線部C「抵抗も大きかった」とあるが、その理由の説明として適切でないものを次の中から一つ 選び、解答欄にマークせよ。
Aの文章における抵抗が大きかった理由に当たらないものは、「ホ 従来の知的道徳的通念とも、文明開化期の知的伝統とも一致していたから」です。文章では、福沢諭吉の主張が従来の知的道徳的通念や文明開化期の知的伝統とは異なる新しい「文明」の原理であったと述べています。したがって、これらの主張が従来の知的道徳的通念や文明開化期の知的伝統と一致していたわけではありません。そのため、この選択肢はAの文章の抵抗が大きかった理由に当たらないものと言えます。他の選択肢は、文章中で述べられている抵抗の理由を反映しています。
問 四
間四 Aの文章の空欄Xに入る語句を選べ。
空欄( x )に入る語句は「二 競争歓迎論」です。福沢諭吉は競争を肯定し、それが個人の利益だけでなく、他人や社会全体の利益にもつながるという観念を提唱しました。これは、競争を歓迎する考え方、つまり「競争歓迎論」に該当します。彼は、個々の人々が自由に競争し、その結果を自分自身で受け入れることを強調しました。これは、現代の「文明」社会の特徴であり、自助と自己責任の原則に基づいています。このような視点から見ると、福沢諭吉の考え方は「競争歓迎論」に最も近いと言えます。他の選択肢(自由民権論、自己本位論、富国強兵論、殖産興業論)は福沢諭吉のこの特定の観念とは直接関連していないと考えられます。
問 五
問五 Bの文章に、傍線部d「凡そ人間に不徳の箇条多しと難も、其の交際に害あるものは怨望より大なるはなし」と あるが、「怨望」とその他の不徳が異なる理由として適切でないものを次の中から一つ選び、解答欄にマークせよ。
「怨望」とその他の不徳が異なる理由として適切でないものは「ロ その他の不徳は、階級や性別などの社会的格差によってもたらされるが、怨望は人心の乱れが生むものである」です。この選択肢は「怨望」とその他の不徳の起源を誤って比較しています。「怨望」は個々の感情から生じ、社会的格差はその他の不徳の一部を引き起こす可能性がありますが、必ずしもそうとは限りません。他の選択肢は「怨望」とその他の不徳の本質的な違いをより正確に捉えています。
問 六
問六 Bの文章に傍線部「自由に言はしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賤も唯本人の自ら取るに任して、他より之 を妨ぐ可からざるなり」とあるが、この考えを端的にあらわした漢字四字の熟語をAの文章の※以降から二つ抜き出して、記述解答用紙の所定の機に記せ。
Bの文章の傍線部「自由に言はしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賤も唯本人の自ら取るに任して、他より之を妨ぐ可からざるなり」の考えを端的に表した漢字四字の熟語をAの文章の※以降から抜き出すと、「自由競争」と「自業自得」が該当します。「自由競争」は、各人が思いのままに利益を追求し、自由に言葉を発し、自由に働くことができるという考えを表しています。一方、「自業自得」は、自分の行い(業)が自分自身に結果(得)として返ってくるという意味で、自分の行動や選択によって富も貧も決まるという考えを表しています。
問 七
問七 A・Bそれぞれの文章の内容と合致するものを次の中から二つ選び、解答欄にマークせよ。
A・Bそれぞれの文章の内容と合致するものは以下の二つです。