源氏物語 若紫

源氏物語とは?
源氏物語とは?

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【内容要約】源氏物語のあらすじを簡単にわかりやすくまとめて解説!5つの魅力も説明

《若紫のあらすじ》 

 

 病気にかかり北山で治療を受けた光源氏(18歳)は、たまたま通りかかった家で、密かに恋仲にあった藤壺に似た少女(若紫・ここでは10歳ぐらい)を垣間見た。この少女は藤壺の兄(兵部卿宮)の子で母親が亡くなってから祖母の北山の尼君に育てられていた。 光源氏は後見人としてこの少女を引き受けることを申し出るが断られてしまう。

 藤壺と光源氏は一度だけ逢瀬を果たし、藤壺は光源氏の子を妊娠していた。秋、尼君が亡くなると、兵部卿宮は少女を引き取ろうとする。これを知った光源氏は身寄りのなくなった少女(若紫)とその乳母を二条院に連れて帰り、若紫を自分の理想の女性に育てようと考えたのだ。

朗  読

本  文

 日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉り行ふなり けり少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りて、脇息の上に経を置きて、いと悩ましげに読みたる尼君、ただ人と見え。四十余ばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそが たる末も、なかなか長きよりもこよなう 今めかしきものかな、とあはれに給ふ

 清げなる大人二人ばかり、さては童べ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりやあらと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあら、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなる かたちなり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立て

 「何ごとぞや。童べと腹立ち給へか。」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子 めりと見給ふ。「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたり つるものを。」とて、いと口惜しと思へ。このたる大人、「例の、心なしの、かかる わざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる、いとをかしう やうやうなりつる ものを。烏などもこそ 見つくれ。」とて立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき めり。少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後見なる べし

 尼君、「いであな幼や。いふかひなう ものし給ふかな。おのが かく今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆるを、心憂く。」とて、「こちや。」と言へば、つい たり。つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶりいはけなく かいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくしねびゆかさまゆかしき人かな、と目とまり給ふさるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れが、まもらるる なり けりと思ふにも涙ぞ落つる。

 尼君、髪をかき撫でつつ、「梳ることをうるさがり給へど、をかしの御髪や。いとはかなう ものし給ふこそ、あはれに後ろめたけれかばかりになれば、いとかから人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひほど、いみじうものは思ひ知り給へしぞかし。ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせとすら。」とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
  生ひ立た ありかも知ら 若草を おくらす露ぞ 消えそらなき
またたる大人、「げに。」とうち泣きて、
  初草の 生ひゆく末も 知らまに いかでか露の 消えとすら
聞こゆるほどに、僧都あなたより来て、「こなたあらは侍ら。今日しも端におはしましけるかな。この上の聖の方に、源氏の中将の、瘧病まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、ここに侍りながら、御訪ひにもまうでざり ける。」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。」とて、簾下ろし。「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り 給はや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。いで御消息聞こえ。」とて立つ音すれば、帰り給ひ

 あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもはかかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなり けり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ、とをかしう思すさても、いとうつくしかりつるかな、何人なら 、かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深うつき

本文中の助動詞 

」「けり」「めり」「」「」「なり」「」「」「べし」「む(ん)」「ごとし」「たり」「まじ

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係助詞について

口 語 訳

 日もまことに長いうえに、なすこともなく退屈なので、(光源氏は)夕暮れでたいそう霞んでいるのに紛れて、あの小柴垣のもとにお出かけになる。供の者たちは(都に)お帰しになって、惟光朝臣と(小柴垣の内を)おのぞきになると、ちょうどこの(目の前の)西に面した部屋に、持仏を安置申し上げてお勤めをする(それは)尼なのであった。簾を少し上げて、花をお供えするようである。中央の柱に寄りかかって座り、脇息の上に経を置いて、ひどく大儀そうに読経している尼君は、並の身分の人とは思えない。四十を過ぎたくらいで、まことに色が白く上品で痩せているけれども、頰はふくよかで、目もとの辺りや、髪が可憐な感じで(肩の辺りで)切りそろえられている端も、かえって長いものより格別に当世風で気がきいているものであるよ、と(光源氏は)しみじみと心ひかれてご覧になる。

 こぎれいな年配の女房が二人ほど、それから、女の童が出入りして遊んでいる。その中に、十歳くらいであろうかと見えて、白い下着に、山吹襲(の上着)などで着慣れて柔らかになっている上着を着て走ってきた女の子は、大勢見えていた子どもたちとは比べようもなく、成人後(の美しさ)が予想されて、見るからにかわいらしい容貌である。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして(豊かであり)、顔は(泣いた後らしく)手でこすってひどく赤くして立っている。

 「何事ですか。子どもたちとけんかをなさったのですか。」と言って、尼君が見上げている顔立ちに、(その子と)少し似ているところがあるので、(尼君の)子であるようだと(光源氏は)ご覧になる。(女の子は)「雀の子を犬君が逃がしてしまったの、伏籠の中に閉じ込めておいたのに。」と言って、いかにも残念だと思っている。そこに座っていた年配の女房が、「いつものように、うっかり者(の犬君)が、こういう不始末をしてお𠮟りを受けるなんて、本当に嫌なことですね。(雀の子は)どちらへ参りましたでしょうか、本当にだんだんかわいらしくなってきたというのに。烏などが見つけでもしたら大変です。」と言って立って行く。髪がゆったりとしてとても長く、見苦しくない人のようである。少納言の乳母と人が呼んでいるらしい(この)人は、この子の世話役なのであろう。

 尼君は、「本当にまあ、なんと幼いこと。子どもっぽくていらっしゃいますね。私のこのように今日明日と思われる命を、何ともお思いにならないで、雀を追い回していらっしゃるとは。(生き物を捕らえるのは)仏罰を被ることになりますよといつも申し上げておりますのに、情けないこと。」と言って、「こちらへ(いらっしゃい)。」と言うと、(女の子は)膝をついて座った。顔つきが実にかわいらしくて、眉の辺りが(眉毛を抜いていないために)ぼんやりと煙って、あどけなく(髪を)払いのける額の様子、髪の生えぐあいが、とても愛らしい。(光源氏は)これから成人していく様子を見ていたい人だなあ、と目がとまりなさる。それというのも実は、このうえなく心を込めてお慕い申し上げるお方に、実によく似申し上げていることが、思わず見つめられる(理由な)のであった、と思うにつけても涙がこぼれる。

 尼君は、(女の子の)髪をかきなでながら、「櫛ですくことを嫌がりなさるけれども、きれいな御髪ですこと。本当にたわいなくていらっしゃるのが、不憫で気がかりです。これくらい(の年齢)になれば、全くこんなふう(に幼稚)でない人もありますのに。亡くなった姫君は、十歳ほどで殿(=父君)に先立たれなさった頃には、しっかりと物の道理をわきまえていらっしゃいましたよ。たった今にでも私が(あなたを)お見捨て申し(て死んでしまっ)たならば、どうやってこの世に生きておいでになろうとするのでしょうか。」と言って、ひどく泣くのをご覧になるにつけても、(光源氏は)わけもなく悲しい。(その女の子は)幼心にも、やはり(しんみりして)じっと(尼君を)見つめて、伏し目になってうつむいた時に、(顔に)こぼれかかってくる髪の毛が、つやつやとしてみごとに美しく見える。これからどこで生い立っていくのかも分からない若草のようなこの子を後に残して消えていく露の身の私は、消えようにも消える空もありません。(死ぬにも死にきれませんよ。)また(そこに)座っていた年配の女房が、「本当に(そうです)。」と泣いて、初草の生い立っていく将来のことも分からないうちに、どうして露は消えようとするのでしょうか。(それまでは生きていらっしゃいませ。)と申し上げているところに、(尼君の兄の)僧都が向こうから来て、「こちらは(外から)まる見えではございませんか。今日に限って端近においでですな。ここの上の聖の所に、源氏の中将が、瘧病のまじないにおいでになったことを、たった今聞きつけました。たいそうお忍びでいらっしゃったので、知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも参りませんでした。」とおっしゃると、(尼君は)「あら大変。本当に見苦しい様子を誰かが見てしまったかしら。」と言って、簾を下ろしてしまった。「世間で評判が高くていらっしゃる光源氏を、このような機会に拝見なさいませんか。俗世を捨ててしまった法師の心地にも、すっかりこの世の心配事を忘れ、(見ただけで)命が延びると思われるほどの(美しい)ご容姿なのです。さあ、ご挨拶を申し上げましょう。」と言って(僧都が座を)立つ音がするので、(光源氏は)お帰りになった。

 何とも可憐な人を見たことだなあ、こうだから、この色好みの人たちはただもうこのような忍び歩きをして、めったに見つけられないような人をもうまく見つけるというわけなのだな、たまに出かけてさえ、このように思いもかけないことを目にするものだよと、おもしろくお思いになる。それにしても、実にかわいらしい子であったなあ、どういう人なのだろう、あのお方(=藤壺の宮)のお身代わりとして、明け暮れの心の慰めにでも見たいものだ、と思う心が(光源氏の中に)深くとりついてしまった。

品詞分解

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