こころ

朗 読

本 文

 Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうと言うのです。私はおおかた叔母さんのところだろうと答えました。Kはその叔母さんはなんだとまたききます。私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始はたいてい十五日過ぎだのに、なぜそんなに早く出かけたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するよりほかにしかたがありませんでした。

 Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をやめませんでした。しまいには私も答えられないような立ち入ったことまできくのです。私はめんどうよりも不思議の感に打たれました。以前私のほうから二人を問題にして話しかけたときの彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変わっているところに気がつかずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんなことばかり言うのかと彼に尋ねました。そのとき彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が震えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生から何か言おうとすると、言う前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するようにたやすく開かないところに、彼の言葉の重みもこもっていたのでしょう。いったん声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。

 彼の口元をちょっと眺めたとき、私はまた何か出てくるなとすぐ感づいたのですが、それがはたしてなんの準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられたときの私を想像してみてください。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせるはたらきさえ、私にはなくなってしまったのです。

 そのときの私は恐ろしさの塊と言いましょうか、または苦しさの塊と言いましょうか、なにしろ一つの塊でした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに固くなったのです。幸いなことにその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐしまったと思いました。先を越されたなと思いました。

 しかしその先をどうしようという分別はまるで起こりません。おそらく起こるだけの余裕がなかったのでしょう。私は脇の下から出る気味の悪い汗がシャツにしみ通るのをじっと我慢して動かずにいました。Kはその間いつものとおり重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくってたまりませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上にはっきりした字で貼りつけられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気のつかないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分のことに一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くてのろいかわりに、とても容易なことでは動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念にたえずかき乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前言った苦痛ばかりでなく、時には一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念がきざし始めたのです。

 Kの話がひととおり済んだとき、私はなんとも言うことができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいるほうが得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事も言えなかったのです。また言う気にもならなかったのです。

 昼飯のとき、Kと私は向かい合わせに席を占めました。下女に給仕をしてもらって、私はいつにないまずい飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口をききませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだかわかりませんでした。

 二人はめいめいの部屋に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かなことは朝と同じでした。私もじっと考え込んでいました。

 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が遅れてしまったという気も起こりました。なぜさっきKの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手ぬかりのように見えてきました。せめてKのあとに続いて、自分は自分の思うとおりをその場で話してしまったら、まだよかったろうにとも考えました。Kの自白に一段落がついた今となって、こっちからまた同じことを切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。

 私はKが再び仕切りの襖を開けて向こうから突進して来てくれればいいと思いました。私に言わせれば、さっきはまるで不意打ちにあったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々目を上げて、襖を眺めました。しかしその襖はいつまでたっても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。

 そのうち私の頭はだんだんこの静かさにかき乱されるようになってきました。Kは今襖の向こうで何を考えているだろうと思うと、それが気になってたまらないのです。不断もこんなふうにお互いが仕切り一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、そのときの私はよほど調子が狂っていたものとみなければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開けることができなかったのです。いったん言いそびれた私は、また向こうからはたらきかけられる時機を待つよりほかにしかたがなかったのです。

 しまいに私はじっとしておられなくなりました。無理にじっとしていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私はしかたなしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、なんという目的もなく、鉄瓶の湯を湯のみについで一杯飲みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの部屋を回避するようにして、こんなふうに自分を往来の真ん中に見いだしたのです。私にはむろんどこへ行くというあてもありません。ただじっとしていられないだけでした。それで方角も何もかまわずに、正月の町を、むやみに歩き回ったのです。私の頭はいくら歩いてもKのことでいっぱいになっていました。私もKを振るい落とす気で歩き回るわけではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていたのです。

 私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。どうしてあんなことを突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋がつのってきたのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強いことを知っていました。また彼の真面目なことを知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼についてきかなければならない多くを持っていると信じました。同時にこれから先彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の部屋にじっと座っている彼の容貌を始終目の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かすことはとうていできないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。

 私が疲れてうちへ帰ったとき、彼の部屋は依然として人気のないように静かでした。

 ある日私は久し振りに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から差す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらとひっくり返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べてこいと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見つからないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向こう側から小さな声で私の名を呼ぶ者があります。私はふと目を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近づけました。ご承知のとおり図書館ではほかの人のじゃまになるような大きな声で話をするわけにゆかないのですから、Kのこの所作は誰でもやる普通のことなのですが、私はそのときに限って、一種変な心持ちがしました。

 Kは低い声で勉強かとききました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から離しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っていると言ったまま、すぐ私の前の空席に腰を下ろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。なんだかKの胸に一物があって、談判でもしに来られたように思われてしかたがないのです。私はやむを得ず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち着き払ってもう済んだのかとききます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すとともに、Kと図書館を出ました。

 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。そのとき彼は例の事件について、突然向こうから口を切りました。前後の様子を総合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っ張り出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向かってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向かって、ただ漠然と、どう思うと言うのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな目で私が眺めるかという質問なのです。一言で言うと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生と異なる点をたしかに認めることができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は人の思わくをはばかるほど弱くでき上がってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んでゆくだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家事件でその特色を強く胸のうちに彫りつけられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。

 私がKに向かって、この際なんで私の批評が必要なのかと尋ねたとき、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分がわからなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるよりほかにしかたがないと言いました。私はすかさず迷うという意味を聞きただしました。彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼にききました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰まりました。彼はただ苦しいと言っただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇ききった顔の上に慈雨のごとく注いでやったかわかりません。私はそのくらいの美しい同情を持って生まれてきた人間と自分ながら信じています。しかしそのときの私は違っていました。

 私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の目、私の心、私の身体、すべて私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれを眺めることができたも同じでした。

 Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ちで彼を倒すことができるだろうという点にばかり目をつけました。そうしてすぐ彼の虚につけ込んだのです。私は彼に向かって急に厳粛な改まった態度を示し出しました。むろん策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のない者はばかだ。」と言い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の使ったとおりを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味を持っていたということを自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのです。

 Kは真宗寺に生まれた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんなことを言う資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味もこもっているのだろうと解釈していました。しかしあとで実際を聞いてみると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲はむろん、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨げになるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。そのころからお嬢さんを思っていた私は、いきおいどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑のほうがよけいに現れていました。

 こういう過去を二人の間に通り抜けてきているのですから、精神的に向上心のない者はばかだという言葉は、Kにとって痛いにちがいなかったのです。しかし前にも言ったとおり、私はこの一言で、彼がせっかく積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今までどおり積み重ねてゆかせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私はかまいません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。

 「精神的に向上心のない者は、ばかだ。」

 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見つめていました。

 「ばかだ。」とやがてKが答えました。「僕はばかだ。」

 Kはぴたりとそこへ立ち止まったまま動きません。彼は地面の上を見つめています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいということに気がつきました。私は彼の目づかいを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、そろそろとまた歩き出しました。

 私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せと言ったほうがまだ適当かもしれません。そのときの私はたといKをだまし打ちにしてもかまわないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私のそばへ来て、おまえは卑怯だと一言ささやいてくれる者があったなら、私はその瞬間に、はっと我にたち返ったかもしれません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私をたしなめるにはあまりに正直でした。あまりに単純でした。あまりに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払うことを忘れて、かえってそこにつけ込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。

 Kはしばらくして、私の名を呼んで私のほうを見ました。今度は私のほうで自然と足を止めました。するとKも止まりました。私はそのときやっとKの目を真向きに見ることができたのです。Kは私より背の高い男でしたから、私はいきおい彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。

 「もうその話はやめよう。」と彼が言いました。彼の目にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶ができなかったのです。するとKは、「やめてくれ。」と今度は頼むように言い直しました。私はそのとき彼に向かって残酷な答えを与えたのです。狼がすきをみて羊の咽喉笛へ食らいつくように。

 「やめてくれって、僕が言い出したことじゃない、もともと君のほうから持ち出した話じゃないか。しかし君がやめたければ、やめてもいいが、ただ口の先でやめたってしかたがあるまい。君の心でそれをやめるだけの覚悟がなければ。いったい君は君の平生の主張をどうするつもりなのか。」

 私がこう言ったとき、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話すとおりすこぶる強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然「覚悟?」とききました。そうして私がまだなんとも答えない先に「覚悟、――覚悟ならないこともない。」とつけ加えました。彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿のほうに足を向けました。わりあいに風のない暖かな日でしたけれども、なにしろ冬のことですから、公園の中は寂しいものでした。ことに霜に打たれて蒼みを失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べてそびえているのを振り返って見たときは、寒さが背中へかじりついたような心持ちがしました。我々は夕暮れの本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向こうの丘へ上るべく小石川の谷へ降りたのです。私はそのころになって、ようやく外套の下に体の温かみを感じ出したくらいです。

 急いだためでもありましょうが、我々は帰り道にはほとんど口をききませんでした。うちへ帰って食卓に向かったとき、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにと言って驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、ろくな挨拶はしませんでした。それから飯を飲み込むようにかき込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の部屋へ引き取りました。

 そのころは覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出すことのできないほど尊い過去があったからです。彼はそのために今日まで生きてきたと言ってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向かって猛進しないといって、決してその愛のなまぬるいことを証拠だてるわけにはゆきません。いくら熾烈な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起こる機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏みとどまって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去がさし示す道を今までどおり歩かなければならなくなるのです。そのうえ彼には現代人の持たない強情と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。

 上野から帰った晩は、私にとって比較的安静な夜でした。私はKが部屋へ引き上げたあとを追いかけて、彼の机のそばに座り込みました。そうしてとりとめもない世間話をわざと彼にしむけました。彼は迷惑そうでした。私の目には勝利の色が多少輝いていたでしょう。私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手をかざしたあと、自分の部屋に帰りました。ほかのことにかけては何をしても彼に及ばなかった私も、そのときだけは恐るるに足りないという自覚を彼に対して持っていたのです。

 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で目を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の部屋には宵のとおりまだ明かりがついているのです。急に世界の変わった私は、少しの間口をきくこともできずに、ぼうっとして、その光景を眺めていました。

 そのときKはもう寝たのかとききました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師のようなKに向かって、何か用かときき返しました。Kはたいした用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでにきいてみただけだと答えました。Kはランプの灯を背中に受けているので、彼の顔色や目つきは、全く私にはわかりませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち着いていたくらいでした。

 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の部屋はすぐもとの暗闇に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた目を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝になって、昨夕のことを考えてみると、なんだか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯を食うとき、Kにききました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだと言います。なぜそんなことをしたのかと尋ねると、別にはっきりした返事もしません。調子の抜けたころになって、ちかごろは熟睡ができるのかとかえって向こうから私に問うのです。私はなんだか変に感じました。

 その日はちょうど同じ時間に講義の始まる時間割りになっていたので、二人はやがていっしょにうちを出ました。今朝から昨夕のことが気にかかっている私は、途中でまたKを追究しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子で言い切りました。昨日上野で「その話はもうやめよう。」と言ったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点にかけて鋭い自尊心を持った男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を押さえ始めたのです。

 Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔なわけも私にはちゃんとのみ込めていたのです。つまり私は一般を心得たうえで、例外の場合をしっかり捕まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭の中で何べんも咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら動き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかもしれないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶、懊悩を一度に解決する最後の手段を、彼は胸の中に畳み込んでいるのではなかろうかと疑ぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。そのときの私がもしこの驚きをもって、もう一ぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見回したらば、まだよかったかもしれません。私はただKがお嬢さんに対して進んでゆくという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうといちずに思い込んでしまったのです。

 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起こしました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を決めました。私は黙って機会をねらっていました。しかし二日たっても三日たっても、私はそれを捕まえることができません。私はKのいないとき、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方がじゃまをするといったふうの日ばかり続いて、どうしても「今だ。」と思う好都合が出てきてくれないのです。私はいらいらしました。

 一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって仮病をつかいました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事をしただけで、十時ごろまで布団をかぶって寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の中がひっそり静まったころを見計らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食べ物は枕元へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつものとおり茶の間で飯を食いました。そのとき奥さんは長火鉢の向こう側から給仕をしてくれたのです。私は朝飯とも昼飯とも片づかない茶椀を手に持ったまま、どんなふうに問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈託していたから、外観からは実際気分のよくない病人らしく見えただろうと思います。

 私は飯をしまってたばこをふかし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢のそばを離れるわけにゆきません。下女を呼んで膳を下げさせたうえ、鉄瓶に水をさしたり、火鉢の縁を拭いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向こうでなぜですときき返してきました。私は実は少し話したいことがあるのだと言いました。奥さんはなんですかと言って、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分に入り込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。

 私はしかたなしに言葉のうえで、いいかげんにうろつき回った末、Kがちかごろ何か言いはしなかったかと奥さんにきいてみました。奥さんは思いも寄らないというふうをして、「何を?」とまた反問してきました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか。」とかえって向こうできくのです。

 Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ。」と言ってしまったあとで、すぐ自分のうそを快からず感じました。しかたがないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだと言い直しました。奥さんは「そうですか。」と言って、あとを待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私にください。」と言いました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでもしばらく返事ができなかったものとみえて、黙って私の顔を眺めていました。一度言い出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着などはしていられません。「ください、ぜひください。」と言いました。「私の妻としてぜひください。」と言いました。奥さんは年をとっているだけに、私よりもずっと落ち着いていました。「あげてもいいが、あんまり急じゃありませんか。」ときくのです。私が「急にもらいたいのだ。」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか。」と念を押すのです。私は言い出したのは突然でも、考えたのは突然でないというわけを強い言葉で説明しました。

 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のようにはきはきしたところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持ちよく話のできる人でした。「よござんす、さしあげましょう。」と言いました。「さしあげるなんていばった口のきける境遇ではありません。どうぞもらってください。ご存じのとおり父親のないあわれな子です。」とあとでは向こうから頼みました。

 話は簡単でかつ明瞭に片づいてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とはかからなかったでしょう。奥さんはなんの条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、あとから断ればそれでたくさんだと言いました。本人の意向さえ確かめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私のほうが、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意したとき、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知のところへ、私があの子をやるはずがありませんから。」と言いました。

 自分の部屋へ帰った私は、事のあまりにわけもなく進行したのを考えて、かえって変な気持ちになりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底にはい込んできたくらいです。けれどもだいたいのうえにおいて、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。

 私は昼ごろまた茶の間へ出かけていって、奥さんに、今朝の話をお嬢さんにいつ通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話してもかまわなかろうというようなことを言うのです。こうなるとなんだか私よりも相手のほうが男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き止めて、もし早いほうが希望ならば、今日でもいい、稽古から帰ってきたら、すぐ話そうと言うのです。私はそうしてもらうほうが都合がいいと答えてまた自分の部屋に帰りました。しかし黙って自分の机の前に座って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、なんだか落ち着いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子をかぶって表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き会いました。なんにも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子をとって「今お帰り。」と尋ねると、向こうではもう病気は治ったのかと不思議そうにきくのです。私は「ええ治りました、治りました。」と答えて、ずんずん水道橋のほうへ曲がってしまいました。

 私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町のほうへ曲がりました。私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺のした書物などを眺める気が、どうしても起こらないのです。私は歩きながらたえずうちのことを考えていました。私にはさっきの奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんがうちへ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。そのうえ私は時々往来の真ん中で我知らずふと立ち止まりました。そうして今ごろは奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。またあるときは、もうあの話が済んだころだとも思いました。

 私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を降りて、しまいに小石川の谷へ降りたのです。私の歩いた距離はこの三区にまたがって、いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKのことを考えなかったのです。今そのときの私を回顧して、なぜだと自分にきいてみてもいっこうわかりません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。

 Kに対する私の良心が復活したのは、私がうちの格子を開けて、玄関から座敷へ通るとき、すなわち例のごとく彼の部屋を抜けようとした瞬間でした。彼はいつものとおり机に向かって書見をしていました。彼はいつものとおり書物から目を離して、私を見ました。しかし彼はいつものとおり今帰ったのかとは言いませんでした。彼は「病気はもういいのか、医者へでも行ったのか。」とききました。私はその刹那に、彼の前に手をついて、謝りたくなったのです。しかも私の受けたそのときの衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野の真ん中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこでくい止められてしまったのです。そうして悲しいことに永久に復活しなかったのです。

 夕飯のときKと私はまた顔を合わせました。なんにも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い目を私に向けません。なんにも知らない奥さんはいつもよりうれしそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。そのときお嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の部屋でただいまと答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんはおおかたきまりが悪いのだろうと言って、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんできまりが悪いのかと追究しにかかりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。

 私は食卓についた初めから、奥さんの顔つきで、事のなりゆきをほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それをことごとく話されてはたまらないと考えました。奥さんはまたそのくらいのことを平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまたもとの沈黙に返りました。平生より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息して部屋へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対してとるべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私はいろいろの弁護を自分の胸でこしらえてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向かうには足りませんでした。卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。

 私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのは言うまでもありません。私はただでさえなんとかしなければ、彼にすまないと思ったのです。そのうえ奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激するのですから、私はなおつらかったのです。どこか男らしい気性を備えた奥さんは、いつ私のことを食卓でKにすっぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私はなんとかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点を持っていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難のことのように感ぜられたのです。

 私はしかたがないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。むろん私のいないときにです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変わりはありません。といって、こしらえごとを話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに決まっています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前にさらけ出さなければなりません。真面目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘でも、私には堪えきれない不幸のように見えました。

 要するに私は正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らしたばか者でした。もしくは狡猾な男でした。そうしてそこに気のついている者は、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑ったことをぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境に陥ったのです。私はあくまで滑ったことを隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ちすくみました。

 五、六日たった後、奥さんは突然私に向かって、Kにあのことを話したかときくのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私をなじるのです。私はこの問いの前に固くなりました。そのとき奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。

 「道理でわたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか、平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは。」

 私はKがそのとき何か言いはしなかったかと奥さんにききました。奥さんは別段なんにも言わないと答えました。しかし私は進んでもっと細かいことを尋ねずにはいられませんでした。奥さんはもとより何も隠すわけがありません。たいした話もないがと言いながら、いちいちKの様子を語って聞かせてくれました。

 奥さんの言うところを総合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち着いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口言っただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んでください。」と述べたとき、彼は初めて奥さんの顔を見て微笑をもらしながら、「おめでとうございます。」と言ったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか。」ときいたそうです。それから「何かお祝いをあげたいが、私は金がないからあげることができません。」と言ったそうです。奥さんの前に座っていた私は、その話を聞いて胸が塞がるような苦しさを覚えました。

 勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気がつかずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼のほうがはるかに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ。」という感じが私の胸に渦巻いて起こりました。私はそのときさぞKが軽蔑していることだろうと思って、一人で顔を赤らめました。しかし今さらKの前に出て、恥をかかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。

 私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも明くる日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すとぞっとします。いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かもしれません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと目を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の部屋との仕切りの襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肘をついて起き上がりながら、きっとKの部屋をのぞきました。ランプが暗くともっているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛け布団ははね返されたように裾のほうに重なり合っているのです。そうしてK自身は向こう向きに突っ伏しているのです。

 私はおいと言って声をかけました。しかしなんの答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体はちっとも動きません。私はすぐ起き上がって、敷居際まで行きました。そこから彼の部屋の様子を、暗いランプの光で見回してみました。

 そのとき私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされたときのそれとほぼ同じでした。私の目は彼の部屋の中を一目見るやいなや、あたかもガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ちに立ちすくみました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああしまったと思いました。もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。そうして私はがたがた震え出したのです。

 それでも私はついに私を忘れることができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に目をつけました。それは予期どおり私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したようなことはなんにも書いてありませんでした。私は私にとってどんなにつらい文句がその中に書き連ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの目に触れたら、どんなに軽蔑されるかもしれないという恐怖があったのです。私はちょっと目を通しただけで、まず助かったと思いました。(もとより世間体の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)

 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行でとうてい行く先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりした文句でそのあとにつけ加えてありました。世話ついでに死後の片づけ方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑をかけてすまんからよろしくわびをしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要なことはみんな一口ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだということに気がつきました。しかし私の最も痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。

 私は震える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれをみんなの目につくように、元のとおり机の上に置きました。そうして振り返って、襖にほとばしっている血潮を初めて見たのです。

解 説

こはる
こはる

先生、学校で冬休みの宿題が出て「こころ」を読んだんです!

今、課題が出てレポート書かなきゃならないんです

どう書けばいいですか?

渡邊克也
渡邊克也

「こころ」は詳しく読みましたか?

なぜKは自殺したか先生に習いましたか?

こはる
こはる

冬に「上・中・下巻」を読みました

先生は「なぜ自殺したと思うか、考えてね♪」って言いました

渡邊克也
渡邊克也

「こころ」全巻読んだんですね

それはすごい!

そうなんですね笑

こはる
こはる

先生、私はレポートでいい点数をとりたいんです

どう書いてもいい点数取れると思えません

渡邊克也
渡邊克也

なるほど

ちょっと考えてみましょう!

こはる
こはる

はーい!

Kはなぜ死んだのか?

夏目漱石作「こころ」をできるだけ忠実に再現している

市川崑監督の映画「こころ」の中に「K」と「私」が房州へ旅行に行く場面があります。

道ばたで日蓮宗の僧侶にKは声を掛けます。

「貴僧は日蓮についてどうお考えです?」

「K」の問いかけに僧侶は満足する答えをしません。

「日蓮は書が達者で…」

「K」は苛立ちます。

「くだらん、私はそんな話をしてるのではない!」

ちなみに小湊は日蓮の生まれ故郷です。

「K」は真宗寺に生まれましたが彼は生家の宗旨にそぐわない人物でした。

彼は医者になると約束しながら養家の意志に背いて大学へ通いました。

それがバレて彼は実家からも勘当され天涯孤独の身となり神経衰弱(精神疾患)に陥ります。

「私」は「K」に同情し自分の下宿に住まわせて欲しいと「奥さん」にお願いします。

「お嬢さん」と「私」はすでにとても仲が良く「奥さん」も「私」と結婚させたいと密かに思っていました。

そんな所へ突然、「K」が出現したわけです。

「奥さん」はしぶしぶ「K」を下宿に受け入れます。

神経衰弱で人間不信に陥った「K」にお嬢さんは明るく接します。

お嬢さんは天真爛漫で物怖じしない性格でいつも「私」をハラハラさせます。

「私」は「お嬢さん」が好きだったので「K」と仲良くするのを見て嫉妬心を起こしたりしました。

ある日、突然「私」は「K」からお嬢さんに対する思いを打ち明けられます。

「K」は普段から道のためには全てを犠牲にすべきと「私」に語っていたので「私」はまったく予想外の出来事に動揺します。

「K」の気持ちを「お嬢さん」から引き離そうと「精神的に向上心のないものはバカだ」と言いました。

「私」は房州旅行をしたときに「K」から言われた言葉をそのまま使って「K」の反応を待ちました。

こはる
こはる

これって三角関係ですよね

たしか「K」は「道のためなら全てを犠牲にすべき」って言ってませんでしたっけ?

渡邊克也
渡邊克也

そうですね笑

だから、女性には全く興味ないと「私」は思っていたんです

日蓮宗の教えを忠実に実践するためにはあらゆる欲を捨てて修行に励むという意味だと思います

こはる
こはる

すごい!!

日蓮宗って日本史で「鎌倉新仏教」って習いました

「南無妙法蓮華経」って唱えれば極楽へ行けるって

渡邊克也
渡邊克也

よく覚えていますね!!

「K」は摂欲とか禁欲と言う言葉が好きでした

非常にストイックな人だったんですね

特に嘘は嫌いでした

こはる
こはる

でも、「お嬢さん」を好きになってしまったんですよね

優しくされたからかなあ笑

渡邊克也
渡邊克也

いい所に気づきましたね!!

「K」は恋(女性)に対する免疫がなかったんでしょう

だから、きっと「恋」をして一番動揺してるのは「K」自身でしょうね

こはる
こはる

わたしも気がついたら好きになってた人がいます笑笑

渡邊克也
渡邊克也

たぶん、「K」は初めて恋をしたんですね

「K」ってとても純粋な人です

だから、素直に自分の気持ちを唯一信頼で

きる「私」に話してしまったんです

結果的にそれが悲劇を生むんです

こはる
こはる

それってつまり、「私」が「K」に内緒で「お嬢さん」と

婚約して「K」がショックで自殺するってことですか?

渡邊克也
渡邊克也

う~ん、本当にそうでしょうか?

「K」は失恋のショックで死んだんじゃありません

彼はいつも話す通りすこぶる強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質だったのです

私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。
そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。
彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。

こはる
こはる

先生、この覚悟ってどんな意味かよく分からなかったんです

渡邊克也
渡邊克也

「覚悟」って何かをする決心をしたってことでしょう?

「K」は何を決心したんでしょうね?

こはる
こはる

ん~、「私」は安心したって書いてあるから「K」がお嬢さんを諦める決心した?

「覚悟ならない事もない」ってなんか気持ち悪い言い方ですね

渡邊克也
渡邊克也

「私」は「K」がお嬢さんとの恋に突き進むと勘違いしたんです

「K」の「覚悟」とは究極的には命を絶つ「覚悟」でしょうね

不気味な感じを受けるのは当然です笑

鋭い感覚ですよ!

こはる
こはる

え?ここでもう「自殺」を考えてるんですか!

勘違いって「K」が「私」に隠れてお嬢さんにアタックするって思ったんですね

渡邊克也
渡邊克也

「人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだった」ってあるでしょう?

「K」の矛盾て何でしょう?

「K」は道のためには全てを犠牲にしろ!精神的に向上心のないものはバカだって「私」に言ってますね?

でも、彼は「お嬢さん」に対する恋のせいで道を忘れてしまったんです

こはる
こはる

じゃあ、「私」は「K」のその矛盾を非難して「お嬢さん」をあきらめさせようとしたってことかな

でも、「K」はどこで自殺を決心したんですか?

奥さんのいうところを総合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。
Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。

しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。
そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。
それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。

奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。

渡邊克也
渡邊克也

ここは「私」が「奥さん」に詰め寄って「お嬢さん」との婚約を決めたあと

「奥さん」から「K」にもう話したのか?と聞かれた直後の場面です

「お嬢さん」との新しい関係(婚約)についてすでに「K」は知っていたと知らされ「私」は驚きます

こはる
こはる

「私」が「K」に「お嬢さん」とのことを話す前に「K」は知っちゃったんですね

でも、「K」は「私」に何も言わなかった…

「胸が塞るような苦しさを覚えました」というところが印象的です

渡邊克也
渡邊克也

「K」はどんな気分だったんでしょうね?

こはる
こはる

「最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです」のあとに

「おめでとうございます」といったまま席を立った

そして、「結婚はいつですか」と聞いた

そして「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といった…

ん~、私にはなんか分からない人です

渡邊克也
渡邊克也

「K」は純粋で正直で素直な人なんです

日蓮宗の教えは自分よりも他人のためにというところが色濃く出てるものだと思います

でも、「K」はそこを忘れて自分の道を忘れて「お嬢さん」を好きになった

結果的に「私」を困らせてしまった訳です

「私」は「K」の生活の全てを支えていました

そんな「私」を困らせてしまったと「奥さん」から聞いた「K」の気持ちはどうでしょう?

こはる
こはる

「K」は思い込んだら突き進む人で…純粋で…嘘が嫌いで…日蓮宗…

やっぱり、私なら自分を責めます泣

なんで「お嬢さん」を好きになったんだろう?って

渡邊克也
渡邊克也

うんうん、多分そうですね

そして何より自分の存在を恨みます

なぜ自分はこの世に生まれてきたんだろう?って

手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。

自分は薄志弱行でとうてい行く先の望みがないから、自殺するというだけなのです。

(中略)

しかし、私の最も痛切に感じたのは、最後に墨のあまりで書き添えたらしく見える、

もっと早く死ぬべきだったのになぜ今ままで生きていたのだろうという意味の文句でした。

こはる
こはる

「K」の遺書ですね

最初は全然分からなかったんです

でも、今なら何となく分かる気がします

渡邊克也
渡邊克也

「もっと早く死ぬべきだったのになぜ今ままで生きていたのだろう」には「私」に迷惑掛けてゴメンネっていう「K」の気持ちが込められてる気がします笑

こはる
こはる

なんかレポート書けそうな気分になってきました笑笑

テスト対策

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テスト対策動画はその1~その3まであります。必要なところを選んで見てください。

「こころ」テスト対策動画 その1
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